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異体同心事 2015年2月度 御書講義(御書学習会)

2015年2月度 御書講義(御書学習会)「異体同心事」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   1463ページ 1行目 ~  7行目
 編年体御書   792ページ 1行目 ~ 7行目

 「 はわき房さど房等の事 ~ 此の一門も又かくのごとし 」

大変に久しぶりとなってしまいましたが、

2月度御書講義の 「異体同心事」 の講義用資料を作成しました。

宜しくお願い致します。

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2015年2月度 教学の日 御書講義 「異体同心事」

【挨拶】
(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは2月度の御書講義を始めたいと思います。
大白蓮華2月号の46ページを開いて下さい。

今回の拝読御書は「異体同心事(いたいどうしんじ)」です。

今回の御書講義で、なぜ、「異体同心事」を学ぶのか?
一言で言えば、それは、「広宣流布の活動を、私たちの団結で勝利していくため」 です。

このあたりも考えながら、はじめに、「背景と大意」を確認していきたいと思います。


■背景と大意

それでは、47ページ下段の「異体同心事」の背景と大意を確認しておきたいと思います。
(P47下段【異体同心事】の「異体同心事は」~P47最後から4行目「推定されています。」を読む)

御書を拝読する上で、ご執筆の時代背景を確認することは、非常に重要です。
--- どのような背景や事情があって御書を書かれたのか? 誰に、何のために書かれたのか?
そのために、この「背景と大意」を押さえておく事が大切です。

この「異体同心事」は、“御述作の年月や、送られた人が不明” との事ですが、“文永の末から建治年間にかけての頃” とあります。
この時期が、どのような状況だったのかを確認しておく事が、研鑽を深める上で大事です。

“文永の末”は、丁度、大聖人が身延入山される頃です。そして “建治年間” とは、“文永” のあとの約3年間で、その次に “弘安年間” へと続きます。
建治年間につづく弘安年間に何があったか?
弘安2年には「熱原の法難」があり、それを機に、大聖人が出世の本懐をとげていく、という時期です。

もう少し詳しく、この頃の状況を確認しておきます。
大聖人が身延に入られた文永11年の頃より、日興上人を中心に弘教が進み、他宗の僧や在家の人たちが次々に大聖人に帰依していっていました。
このような動きに、熱原の滝泉寺で住職代理をしていた行智が危機感をつのらせ、権力を利用し謀略を巡らせて、大聖人門下へと弾圧を開始していきます。
のちに、こうした迫害は、農民信徒20人が逮捕され神四郎・弥五郎・弥六郎の三人が斬首される「熱原の法難」へと発展していくことになります。

したがって、そのような熱原の法難へと続くような、大聖人門下にとって、様々な迫害の動きが出てきていた頃のご執筆であるという事を、まず押えておきたいと思います。

そして本抄の内容については、大白蓮華の47ページの最後の3行、先ほどの続きですが、
(P47下段【異体同心事】の最後の3行「本抄では」~P47最後「教えられています。」を読む)
とあります。

この「異体同心事」は、この駿河の地にあって、やがて法難に発展していく緊迫した状況の中でかかれたご指導です。
そして、大難は、もちろん起こらない事が一番ですが、しかし、それを乗り越えたときに、広宣流布への発展へとつなげていくことが出来ます。
その意味では、大悪を大善へと転換することが出来るといえます。

その大難を乗り越えていく要諦として、「異体同心」の団結を強調された御書であると拝することができます。すなわち、駿河の地は、いつ法難が起きても不思議ではない状況であるからこそ、魔を打ち破る鍵は、どこまでも信心の団結にしかないことを、明快に教えられていると拝することができます。

なお、この「異体同心」は、これまでも何度も学んできた法理です。
そして、この「異体同心」は、単に“団結しなければ勝利できない”という戒めの話に終わるのではなくて、実は、「異体同心」を目指す中に、一人一人の広宣流布を目指す信心が深まり、また、師弟不二の信心が強くなっていく。そして、一切の勝利は「異体同心」の組織を構築できるかどうかにある。
それが、「異体同心」を私たちが学び実践していくポイントとなります。この点を再認識する意味で、今回は「異体同心事」を拝読していきます。

それでは、55ページを開いてください。
今の内容が、中段の「拝読のために」のところに書かれています。
(P55中段【拝読のために】~L9「教えられています。」を読む)

「異体同心」とは、「魔を打ち破る法理」である、という事です。
このことに関しての先生のご指導を、確認しておきたいと思います。
上段にある池田先生のご指導の「1」です。
このご指導は、私たちが今回の御書講義で「異体同心事」を学ぶ結論ともいえる内容になります。
(P55上段【1 我ら創価の誉れの歴史】を読む)

では、この “学ぶ目的” を確認しまして、具体的に本文に入っていきたいと思います。

■本文

それでは、52ページを開いてください。

最初に、今回の拝読範囲全体の展開の流れをつかんでおきたいと思います。

今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。
まず最初の段では、異体同心について、一般の原理として「世間でも言われていることだ」と示されます。
そして、次の段では、そのことを中国の歴史を例に説明されます。
そのあと、後半の2つの段では、大聖人の一門と日本の人々を対比して、大聖人の門下にとって「異体同心」とは、という事を教えられていきます。

■第1段

はじめに一つ目の段は、本文冒頭の「はわき房(ほうきぼう)」から、5行目の「定まりて候」 までです。
最初に題号を読みますので、それに続いて第1段を拝読しましょう。
(本文 P52L1「はわき房」 ~ P52L5「定まりて候」を拝読)

はい、有難うございます。
では、続いて下の通解を確認しておきます。
(通解 P52L1「伯耆房(日興上人)」 ~ P52L9「記されています。」を読む)

本文1行目の下に、「あつわらの者ども」とありますが、上の段の語句の解説にも書かれていますが、駿河の国の熱原郷の門下たちのことで、日興上人のもとで弘教を展開し、権力による弾圧を、当時もう既に受けていた、という事です。そして、この状態が、後に「熱原の法難」に繋がるわけですが、大変な緊迫した状況になるという事で、大聖人が激励をされていく内容となります。
そして、そのポイントは、“熱原の門下たちが「異体同心」であれば、万事を成し遂げていける”、と激励されているように、「団結が勝利の要諦である」という事です。

本文では続いて3行目より、また逆に「同体異心」であれば、何も成し遂げることはできない。
そして、この「異体同心」と「同体異心」については、「外典三千余巻に定まりて候」 と、“一般の原理として世間でも言われていることだ ” と示されていきます。

では、この「異体同心」と「同体異心」がどう違うのかを、「拝読のために」で確認しておきたいと思います。
55ページを開いてください。下の段の2段落目 「『異体』とは」 からですが、
(P55【拝読のために】 下段L7「『異体』とは」~最後「示されています。」を読む)

この「異体」と「同心」について、池田先生は、御書講義の中で、次のようにご指導されています。
-----
あらためて確認すれば「異体同心」の「異体」とは、それぞれの個性、特質、立場等が異なることです。
「同心」とは、一般的に言えば目的観や価値観が同じことです。また、高い目的観や価値観を実現していこうという意志が一致していることでもあります。
仏法のうえで言えば、仏の心であり遺命である「広宣流布」を我が使命として自覚し実践し抜いていく「師弟不二の信心」にこそ、「同心」の核心があります。師と同じ精神に立って、戦いに挑み、勝利することが「異体同心」の根幹です。
また「異体」との仰せがどこまでも重要です。いわゆる「一心同体」などの表現ではなく「異体同心」と仰せられているところに甚深の意味を拝することができます。
すなわち「同心」といっても、一人一人の個性を殺すことはありません。「妙法」によって、一人一人の可能性が最大限に発揮されたときに、「異体同心」の大いなる力が現われるのです。
仏は、すべてのものを結びつける宇宙根源の力を発見しました。それが「妙法」です。さらに、人間が、その妙法の力を自分の生き方として現しうる可能性をもっていることをも発見しました。それが「仏性」であり、「法性」です。
一人一人の人間が、この仏性の智慧を現すことによってのみ、仏法における「異体同心」が成り立つのです。一人一人が、我執を超えて、最高の可能性と個性を発揮していくゆえに、「異体同心」は絶対勝利の軌道になっていくのです。
-----
と。

そして、大聖人は、「異体同心」こそが勝利の要諦であることについて、先ほども確認しましたが、「外典三千余巻に定まりて候」と示されています。文化と思想の大国である中国でも、異体同心こそが事を成就するための要諦であることは確固たる定義として通っているということです。
そして本文の次の段で、この定説の典型的な例として、「殷の紂王と周の武王の戦い」 を取り上げられています。

それでは、本文に戻りたいと思います。
52ページに戻ってください。

■第2段

続いて、本文第2段となります。
第2段は、52ページ後ろから2行目の「殷(いん)の紂王(ちゅうおう)は」 から、次の53ページ最後の行の「成ず」までです。

それでは皆さんで第2段を拝読しましょう。
(本文 P52L5「殷の紂王は」 ~ P53L6「成ず」を拝読)

はい、有難うございます。
では、続いて52ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P52L10「殷の紂王は」 ~ P53L8「遂げることができる。」を読む)

では、もう一度、53ページの本文に戻ってください。

本文、第2段のはじめに、「殷(いん)の紂王(ちゅうおう)は七十万騎なれども」 とあります。
この「殷の紂王」については、53ページ上の段の語句の解説にも書かれていますが、中国古代、紀元前11世紀ごろの殷王朝の最後の王になります。日々、酒宴を繰り返して贅沢の限りを尽くし、そして民衆には重税を課すなどの暴虐な政治を行ったと言われています。

これに対して、本文53ページ1行目に登場する「周の武王」は、同じく語句の解説で、「殷の紂王を破って、周王朝を創始した王」となります。周で善政を行い、人々の信望を集めていました。

ここでは、「殷の紂王」は70万騎もの大軍であったが、「同体異心」であったので、戦いに負けてしまった。
そして、「周の武王は八百人」とありますが、この八百人とは、全体が800人の軍勢と言うわけではなくて、800の諸侯、即ち800の臣下・リーダーの集まりの軍勢で、実際にはもっと大勢であったようです。一説では、「この時の周の兵力は戦車300乗、士官3000人、武装兵45000人であった。」とのことです。それでも殷の紂王の70万に比べると、はるかに及びません。常識的に考えれば、圧倒的に力が違い、殷の優勢は揺るぎません。しかし、周の軍勢は「異体同心」であったので勝った、と述べられています。
今から3000年以上も昔の王朝が代わった出来事になりますが、実は、この戦いは、あっと言う間に終わってしまったそうです。
その様子が、「拝読のために」に紹介されています。
56ページを開いてください。真ん中の段の後ろから5行目の「しかし、『史記』などによると」からです。
(P56【拝読のために】 中段L14「しかし『史記』」~下段L11「証明されていることです。」を読む)

この様に、周の武王の軍勢は「異体同心」であった。だからこそ、70万の大軍を破ることができた。この事を大聖人は、この歴史上の事実をもって、世間一般の「異体同心」の例として述べられているのです。

ここで、池田先生のご指導を、確認しておきたいと思います。
56ページ上段のご指導の「2」です。
(P56上段【2 善の勢力を結集】を読む)

ここで先生が強調してくださっているのは、文王、この文王は、周の武王のお父さんですが、この文王にしても武王にしても、“礼” とか “孝養” を大切にした立派なリーダーであったという事で、このリーダーが人間として立派であったから、周という国が長く栄えていった、とのことです。
先生が強調されているのは、人間を大切にするリーダーかどうかで決まるという事です。
そして、その人を中心として、「異体同心」の団結が生まれてくるという事です。

今の時代で言えば、民衆中心なのか、自分中心なのか、その観点で見た場合に、この違いから、「異体同心」と「同体異心」の違いが生まれてくると言えます。
私たちの次元で言えば「民衆の力」を高めるためにリーダーが「一人立つ」ところから一切が始まる。そして、その理念に同志が賛同し糾合し「異体同心」の実践で、悪と戦い、悪を破る。そこに、広宣流布における民衆勝利の方程式が示されているといえます。
「一人立つ」実践と、独裁とは根本的に違います。確かに、「一人立つ」勇者には、その責任感から、果敢な決断が必要な時がある。しかし、真の指導者は、独裁者と異なり、同時に、大勢の真摯な意見に耳を傾けるものです。
民衆を中心にしたならば、ここから「異体同心の団結」が生まれ、そして勝利していけるのです。

それでは、もう一度、53ページの本文に戻ってください。
第2段の後半になりますが、2行目の下からですが、大聖人は次のように仰せです。
(P53 本文L2「一人の心なれども」~L6「成ず」を読む)

ここでは、改めて「同心」(=同じ心)の大切さを強調されている内容となります。
“一人の人間の心” であっても、「二つの心あれば」 とありますが、即ち、迷いがあって心が定まらない状態です。これは、一人の心に異なった心がある状態となり、「異心」であると捉えることができます。迷いがあって心が定まっていなければ、何事も成就できないという事です。自分の心が定まっているかどうか、それが先ず大事となります。

大聖人は、この様に、“一人の人間の心” を取り上げた後に、次に、“大勢の人” について述べていかれます。「百人・千人なれども」と、大勢でも、“心が一つ” であれば “必ず” 物事を成し遂げる事ができると仰せです。

ここで 「一つ心なれば」 と言うところが重要です。
言い換えれば、“私たちが心を一つにする” という事が、勝利を築いていく最大の要因である、という事になると思います。
まして、広宣流布を進めるに当たっては、この「異体同心」、“私たちが心ひとつにして戦っていく” ということがどれだけ大事であるかは言うまでもありません。

第2段は、以上となります。

ここから後は、いよいよ大聖人門下の異体同心の原理について教えていかれます。

■第3段

それでは続いて、本文第3段に行きたいと思います。
第3段は、53ページ最後の行の「日本国の人人は」 から、54ページの5行目の「覚え候」までです。

それでは皆さんで第3段を拝読しましょう。
(本文 P53L6「日本国の人人は」 ~ P54L5「覚え候」を拝読)

はい、有難うございます。
では、54ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P54L1「日本国の人々は」 ~ P54L7「あろうと思っています。」を読む)

第3段は、“広宣流布成就の条件” を述べられた箇所となります。

53ページの最後の行で、「日本国の人人は」 とありますが、本文の内容に入る前に、大聖人の御在世当時の日本がどうであったかを確認しておきたいと思います。
この当時の日本は、幕府内でも争いが起こり、また、蒙古襲来の危機にも直面していました。
この様な、最大の国の危機に直面していても、確たる哲学や宗教もない。そして、そのような状況のなかで、民衆は置き去りにされていました。まさに、「国中がバラバラ」、といった状態でした。

この様な状況の中でも、ただ、“大聖人を迫害する”という事においては、同じ方向を向いていました。
本文で、「日本国の人人は多人なれども体同異心なれば」とありますが、ここで言う「日本国の人々」とは、大聖人一門の法華経弘通に反発する当時の人々です。このような「日本国の人人」は、大聖人一門を迫害するという事では共通していて「体同」でしたが、それぞれの利害で行動していたので、本質は「異心」でした。

また、当時の大聖人門下はどうだったかと言うと、弘教が進んでいたといっても、まだまだわずかの勢力です。一方、相手は幕府の権力を使って迫害をしてくるわけですので、 “ あっという間に潰されてしまうのではないか ”、と大聖人門下は思っていたのではないでしょうか。

そのような中で大聖人は、「多人なれども」とあるように、どんなに大勢であっても、その本質は「体同異心」であるので、何事も成就することはできない、と断言されています。
大聖人の、「何も心配する必要はない。何も畏れる必要はない。」との大確信の激励です。

これに対して、本文54ページ2行目で、「日蓮が一類は異体同心なれば」と続きます。
大聖人の一門は、“ 異体同心であるがゆえに、確かに人数は少ないけれども、大事を成就する事ができる ” と仰せです。
ここで「大事」とありますが、ここでは、「民衆の苦悩の根本原因を取り除き、そして、平和の楽土を築くこと」を指しています。言い換えれば、仏法を行じて、一人一人の幸福の実現と、同時に、この国を、この社会を良くしていこうという 「立正安国」 を目指していく戦いとなります。
このような「大事」、偉大な目的のために心を合わせて「異体同心」で戦っているのだから、最後は、本文にあるように「一定法華経ひろまりなんと覚え候」です。「一定」とは “必ず” と言う意味です。「異体同心」実践があれば、必ず法華経が弘まって広宣流布ができる、と御断言されているのです。
また、「異体同心」が広宣流布実現への条件であるといえます。

ここで、このことについての池田先生のご指導を確認しておきたいと思います。
57ページを開いてください。上段のご指導の「3」です。
(P57上段【3 「善き友の集い」が根本】を読む)

「広宣流布」の成就には、この「組織」が必要である。そして、この組織は「異体同心の組織」でなければならない、ということになります。

そして、この「広宣流布の成就に、異体同心の信心が不可欠である」という事は、“生死一大事血脈抄”の一節でも述べられています。同じ57ページの下の段の、後ろから4行目に御文がありますので、先生のご指導とあわせて確認しておきたいと思います。
(P57【拝読のために】 下段最後からL4「総じて日蓮が」~P58下段最後までを読む)

繰り返しになりますが、「同心」とは、「広宣流布を目指す心」、そして「同志を尊敬する心」、そして「師弟不二の心」で、この3つが揃ったときに、本当の「異体同心」ができるという事になります。
私たちの信心でいえば、自分の心を、この「広宣流布」と「同志」と、そして「師弟」に定めていくという事が、自分自身の人間革命であり、また、本当の意味での仏道修行となるのではないでしょうか。
異体同心とは、その意味では、自然とできるものではなくて、私たちが仏道修行のなかで人間革命をしていくことで出来上がってくるものと言えます。

第3段は、以上となります。

■第4段

それでは最後に、本文第4段に行きたいと思います。
第4段は、54ページ最後から4行目の「悪は多けれども」 から、本文最後までです。

それでは皆さんで第4段を拝読しましょう。
(本文 P54L5「悪は多けれども」 ~ P54L8「又かくのごとし」を拝読)

はい、有難うございます。
では、54ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P54L8「悪は多くても」 ~ P54L12「同様である。」を読む)

ここでは、2つの対比が示されています。
最初に「悪」と「一善」。そして次に、「多くの火」と「一水」との対比があります。
「多くの火」であっても、ただ一つ、この「一水」があれば火を消すことができる。
「多くの火」とは「悪」のことであり、また、この「一水」というのは、「一善」であり“大聖人の一門”のことであります。

まさに、向こうの「悪」の勢力、大聖人一門を弾圧してくる勢力がどんなに多くても、「一善」に勝つことはない。そして「此の一門も又かくのごとし」、日蓮の一門も、この「一水」の如く、「悪」に勝っていけると仰せです。

しかし、ここで大事なのは「多くの善」ではなく 「一善」 とあるように、一つに団結して、「善の連帯」を築き上げていくことが、悪の勢力を打ち破っていく上で大事なことです。

やがて熱原の法難に発展していく当時の状況にあって、「悪」に対してこの「一水」、「団結した一善」があれば、必ず打ち破ることができる、という大聖人の大確信です。

それでは、この「善の連帯」について、「拝読のために」で確認しておきたいと思います。
59ページを開いてください。真ん中の段です。
(P59【拝読のために】 中段L5「法華経に敵対し」~下段最後までを読む)

ここで心がけていきたいのは、今の御文にもありましたが、「皆、仏だから」と、「皆が仏である」という仏法の根幹の思想であると思います。

このことについての池田先生のご指導を確認しておきたいと思います。

58ページの上段のご指導の「4」と、59ページの「5」です。
(P58上段【4 互いに尊敬しあう心】、P59 上段【「共に励まし」前進を】を読む)

本当の意味での「異体同心」は、妙法の力がなければできません。
それと共に、私たち一人ひとりの誓願の力が、異体同心を築く源泉となります。

今回の御書の学習は以上となります。

■最後に
(各自、感じたことや決意など、それぞれの立場で追加してください。)
以上です。有難うございました。

撰時抄 2014年4月度 御書講義(御書学習会)

2014年4月度 御書講義(御書学習会)「撰時抄」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   287ページ14行目 ~ 288ページ 7行目
 編年体御書 750ページ14行目 ~ 751ページ 7行目

 「 第三には去年文永十一年四月八日 ~ 此れよりほかに又もとむる事なかれ 」

4月度御書講義の「撰時抄」の講義用資料を作成しました。

宜しくお願い致します。

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2014年4月度 教学の日 御書講義 「撰時抄」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは4月度の御書講義を始めたいと思います。
大白蓮華4月号の46ページを開いてください。

今回の拝読御書は「撰時抄(せんじしょう)」です。

早速ですが、55ページを開いてください。

中段の「拝読のために」の後ろから3行目からですが、“ 「撰時抄」は、末法の世界広宣流布を宣言された御書です。 ” とあります。

“末法という時は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経が一閻浮提に広宣流布すべき時である”、ということを教えられた御書です。 今、“世界広布新時代の開幕”という時にあって、日蓮大聖人の広宣流布への大確信を学んでいく御書講義となります。

内容にはいる前に、上段にある池田先生のご指導の「1」を確認しておきたいと思います。
(P55上段【1 学会の使命は世界広布】を読む)

このご指導は、世界広布新時代の開幕を告げる、今年の元日の、「新・人間革命」の冒頭の部分です。
先生は、ここで、「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」 との御文を引かれていますが、これは実は「撰時抄」の一節です。

この御文のままに、法華経の肝要である南無妙法蓮華経を、一閻浮提、すなわち全世界に広宣流布すべき時である、と立ち上がられたのが日蓮大聖人です。
そして、この大聖人の仰せ通りに行動し、“一閻浮提広宣流布”を現実のものとしたのが創価学会であり、また、世界で言えばSGIのメンバーとなります。

私たちが今、この世界広布の大きなうねりの中にいることを確信して、大きく境涯を開いていきたいと思います。

そのために、今回の御書講義で、大聖人の広宣流布への力強い実践と確信を深く拝して、大聖人のご精神を学んでいきたいと思います。

■背景と大意

それでは、47ページを開いてください。

下段の「撰時抄」の背景と大意を確認しておきたいと思います。

(P47下段【撰時抄】の「本抄は」~P47最後「明かされています。」を読む)

「撰時抄」の大きな柱は、まず最初に、“末法に弘めるべき法が南無妙法蓮華経である” ということを明かされます。

そしてその後、“それでは、この正法を弘める人はだれか?” ということで、“大聖人こそが、正法を弘める閻浮提第一の法華経の行者である” と明かされますが、今回学ぶ範囲は、この部分となります。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。

52ページを開いてください。

今回の拝読範囲は、3つの段に分かれます。

(以後、続きは、PDFファイル・Wordファイルにて全文掲載)


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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
  ⇒忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
   URL:http://ougon.sdbx.jp/

  【利用方法】  ⇒ 忍者サンドボックスについて


開目抄 2014年2月度 御書講義(御書学習会)

2014年2月度 御書講義(御書学習会)「開目抄」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   200ページ 9行目 ~ 201ページ 1行目
 編年体御書 428ページ11行目 ~ 429ページ 2行目

 「 日本国に此れをしれる者は ~ 謀反なんどの者のごとし 」

2月度御書講義の「開目抄」の講義用資料を作成しました。

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2014年2月度 教学の日 御書講義 「開目抄」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは本年最初の御書講義を始めたいと思います。

大白蓮華2月号の50ページを開いてください。

今回の拝読御書は「開目抄(かいもくしょう)」です。

今回は、開目抄の中でも、日蓮大聖人が立宗宣言の直前を振り返った箇所を学び、世界広布新時代の開幕にあたり、「誓願」の重要性を改めて学んでいく御書講義となります。

■背景と大意

はじめに、51ページ下段の背景と大意を確認しておきます。
真ん中の「開目抄」のところからです。

(P51下段【開目抄】の「本抄は」~P51最後「示されています。」を読む)

はい。

では次に、59ページを開いてください。

【拝読のために】を確認しておきたいと思います。

(P59中段【拝読のために】の「日蓮大聖人の仏法は」~P59中段L8「『開目抄』です。」を読む)
とあります。

少し時代背景を確認しておきますが、開目抄御執筆の当時、大聖人はじめ多くの門下が迫害にあい、退転者が続出していました。
そのような中で、門下の間に、「大聖人が法華経の行者であるなら、どうして佐渡に流されたのか。なぜ諸天善神の加護が無いのか。」という疑念が広がっていました。
この疑問に応じる形で著されたのが「開目抄」です。

この疑問に答えられるために、本抄では、大聖人ご自身が末法の法華経の行者であることは間違いないことが明かされます。
そのために、第1に、改めて、“法華経こそが末法の一切衆生を救済する根本の教えであること。”
また第2に “大聖人ご自身の実践が、全部、法華経の経文どおりであること” を述べられていきます。

【拝読のために】に戻ります。先ほどの続きの、中段最後から3行目からですが、
(P59中段L9「本抄の前半では」~P59下段L12「拝していきます。」を読む)

このことについて、上段にある池田先生のご指導の「1」を確認しておきたいと思います。
(P59上段【1 確固たる哲学と信念】を読む)

はい。
ここで先生が語って下さっているように、この仏法、法華経は、“全人類を救っていける成仏の教え”であって、そして大聖人が、広宣流布への偉大なる信念で、この大法を不惜身命で弘めていくことを誓った、ということです。


“最高の信念”で、大聖人が大難につぐ大難のご生涯を送っていかれた。
そのことをそのまま述べられているのが「開目抄」です。

今回の御書講義では、開目抄の中の“立宗宣言の直前の決意=誓願”を述べられた部分を学んでいきます。

ここで、“誓願”について、もう少し確認しておきたいと思います。

“大聖人の誓願”といえば、私たちからすると、何か遠い出来事のように感じてしまうかもしれません。

しかし、実は、私たち学会員は、朝晩の勤行のときに“広宣流布”を祈念しています。
皆さん朝晩、「広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。」と祈念し、また最後には、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念していますが、このことです。

従って、私たち学会員は、毎朝・毎晩、大聖人と同じ誓願に立っているという事になります。

この“誓願”は、私たち自身の日々の活動での実践と言えますし、また、私たちしか、この大聖人の誓願を日々祈り、そして行動している人は他にいない、という事にもなります。

“大聖人と同じ誓願”・・・・、この誓願を実践するために大事な要素が2つあります。

一つ目が、この仏法が「最高の法」であるということです。
“万人がみな仏である”という事を説き明かした仏法でなければ、本当の意味で、民衆救済の請願を実践していくことは出来ません。

そして、二つ目は、「信念と行動」です。
法が最高であっても、そのことを信じて実践し抜いていく行動が大事です。

“最高の哲学”と“最高の信念”を持っている、これが私たち、大聖人の仏法を実践している学会員の、最高の確信と最高の誇りという事になります。
この私たち学会員全員の“信心の出発点”が、今日学びます “大聖人の立宗宣言直前の決意” から始まっています。

この私たちの信心の原点を、今日は一緒に学び合っていきたいと思います。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。56ページを開いてください。
今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。

(以後、続きは、PDFファイル・Wordファイルにて全文掲載)

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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
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顕仏未来記 2013年10月度 御書講義(御書学習会)

2013年10月度 御書講義(御書学習会)「顕仏未来記」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   509ページ 2行目 ~ 11行目
 編年体御書 562ページ11行目 ~ 563ページ2行目


 「 日蓮此の道理を存して ~ 三国四師と号く 」

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2013年10月度 教学の日 御書講義 「顕仏未来記」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは10月度の御書講義を始めたいと思います。

大白蓮華の28ページを開いてください。今回の拝読御書は「顕仏未来記」です。

■背景と大意

はじめに、29ページ下段の背景と大意を確認しておきます。

(P29下段L1「本抄は」~P29最後「末法広宣流布の未来記が示されています。を読む)

本抄は「仏の未来記を顕す」という題号にあるように、「仏の未来記」、すなわち、仏が未来を予見し示したものを、現実に証明し、そして成就するのは誰か。「顕仏未来記」はこの根本を示された御書です。

■「未来記」の意義

本抄の御文の内容に入る前に、、この「仏の未来記」とは誰の未来記かについて、はじめに確認しておきたいと思います。

今回の拝読範囲ではありませんが、大聖人は、本抄の冒頭で、“法華経の第七に云く「我が滅度の後(のち)・後の五百歳の中(うち)に閻浮提(えんぶだい)に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書505㌻)”と法華経の経文を掲げられました。
これは、末法の広宣流布を予言した釈尊の「未来記」です。
そして、この経文を、釈尊の未来記を虚妄にしないで現実のものとされたのが大聖人です。

37ページを開いてください。
「拝読のために」の中段の5行目にも書かれていますが、
“「仏の未来記」とは、一往は釈尊の未来記を示します。しかし、本抄の元意は、日蓮大聖人の末法広宣流布の未来記を明かされることにあります。”
と書かれています。

大聖人ご自身が、先ほどの「釈尊の未来記」を事実の上に顕されるだけでなく、更に深く立ち入って、日蓮大聖人こそが末法の御本仏であると言う実証の上から、大聖人ご自身の未来記を明かされます。

このように、「仏の未来記」には、釈尊の未来記と大聖人の未来記の2つの未来記があります。

では「日蓮大聖人の未来記」とは、どのようなものでしょうか?

37ページ下段の真ん中に、
“そして本抄では、末法万年、一閻浮提(全世界)のすべての民衆を救う大法が今、出現して、世界中の人々を幸福にして平和の楽土を築いていくという、「仏法西還」(世界広宣流布)の未来記が示されています。” とあります。

「仏法西還」とは、“仏法発祥の地のインドに還る”という文字通りの意味だけではありません。
当時の日本からみて、世界とは日本と中国・韓国・インドなどで、これが当時の世界観でした。従って、日本から西のこれらの国に大聖人の仏法が広がると言うことは、現代でいえば、世界広宣流布の意味になります。
つまり、「日蓮大聖人の未来記」とは“世界広宣流布”となります。これ以外に末法の御本仏の未来記はありません。

ゆえに、広く門下の立場で拝するならば、大聖人の弟子の実践が、「大聖人の未来記」を事実の上に顕すものでなくてはなりません。

そうでなければ、御本仏の未来記は虚妄となってしまいます。

37ページ中段の後半で、“大聖人の未来記を現実のものとしたのが創価学会です。”とあります。
初代・牧口先生、第二代・戸田先生、そして第三代・池田先生の師弟不二の大闘争によって、大聖人の仏法は世界192ヶ国・地域へと広がってきました。
顕仏未来記は、一往、当時の門下に対しての遺命の書ではありますが、その本義は、広宣流布の為に不惜身命で活動する未来の弟子に対しての遺命の書と拝していきたいと思います。

そのことについての池田先生のご指導を確認しておきたいと思います。
(P37上段【1 大聖人直結の学会精神の源流】を読む)

■本文

今回の御書講義で学ぶの範囲は、顕仏未来記の一番最後の部分で、大聖人滅後の弟子達に、必ず広宣流布を成就していくように、その実践を強調され、広布の一切を弟子に託された部分となります。

それでは本文に入っていきたいと思います。34ページを開いてください。
今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。

(以後、続きは、PDFファイル・Wordファイルにて全文掲載)

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【ご参考】

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立正安国論 2013年4月度 御書講義(御書学習会)

4月度御書講義(御書学習会)「立正安国論」

御書講義 拝読範囲: 
 御書全集  32ページ13行目 ~  33ページ4行目 
 編年体御書 170ページ13行目 ~ 171ページ5行目

「 広く衆経を披きたるに ~ 誡めんのみ 」

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2013年4月度 教学の日 御書講義 「立正安国論」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは4月度の御書講義を始めたいと思います。
大白蓮華の54ページを開いてください。今回の拝読御書は「立正安国論」です。

題号の左に「民衆の幸福と平和へ 勇気と正義の対話を!」と書かれています。
正しい価値観に基づいた平和な社会を目指して、学会理解を広げる対話の原動力として、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。

■本抄拝読の意義

本抄の内容に入る前に、今月の御書講義で「立正安国論」を学ぶ意義について、はじめに確認しておきたいと思います。

では、63ページを開いてください。
中段の「拝読のために」の冒頭にも記載されていますが、今年の4月28日で、日蓮大聖人の立宗宣言から760年を迎えます。
創価学会では、戸田先生が会長に就任された翌年に立宗700年を迎えました。

日蓮大聖人の立宗宣言から700年の歳月を経て、創価学会が本格的な広宣流布の活動を始め、それから60年、現在192ヶ国・地域に広がっています。

創価学会が初めて、立正安国の世界を現実のものとしたと言えると思います。

この日蓮大聖人の民衆救済の御精神、立正安国の実践を正しく担ってきた唯一の団体か創価学会です。
今月は、私たち創価学会が実践している、この「立正安国」の意義について、御書に基づいて学んで行きたいと思います。

■ 背景と大意

55ページに戻ってください。
はじめに背景と大意ですが、55ページの冒頭に書かれている通り、本書、立正安国論は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)に、鎌倉幕府の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出された「国主諌暁の書」です。
また、上段の最後の行にありますが、題号の「立正安国」とは「正法を立てて国を安んず」と言う意味です。

“人々の心に正法を打ち立てることが、国土の平和を実現する根本の道である”と言うことが示されています。

同じことを、「拝読のために」の中でも述べられています。
もう一度、63ページを開いてください。中段の後ろから6行目に、こう書かれています。
(P63中段後ろから6行目「末法という」 ~ P63下段L4「展開するものです。」を読む)

まずこの「立正安国」の実践の大前提として、「私たちが生きるこの時代は“末法”の時代である」と言うことです。
末法とは、人々の心の中に貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒が充満し、争いが絶えない時代となっていると言うことです。

この争いの時代の中に一人ひとりが幸福を築く為にはどうしたらよいのか。

その結論は、一人ひとりの中にある仏性“仏の生命”を開くしかありません。

末法の時代であるからこそ、一人ひとりが強くならなければならない。 ―― では、どうすれば強くすることが出来るのか。

日蓮大聖人の仏法は、一人ひとりが自分の生命の中にある仏性を開いていく、そして、一人ひとりが輝いていき、無限大の可能性を開くことによって、末法の激流に立ち向かっていく。大聖人の仏法は、そのことを教えている仏法であると言えます。
その意味で、信仰とは、一人の人間の内面の変革から始まりますが、内面の変革だけに終わりません。広く社会を変革する行動へと展開していく事になります。
この事について、今月の座談会御書で学ぶ御文ですが、少し触れておきたいと思います。

御書講義の範囲から離れますが、56ページを開いてください。
(P56の御文を拝読)

この御文については、隣の57ページの上段の真ん中あたりに書かれていますが、
(P57上段L12「すなわち」~L16「教えられているのです」を読む)
とあります。

私たちは、自分ひとりの幸せにとどまらず、人々の幸福・社会の平和と安穏を築く実践をしています。

自他共の幸福の実現です。

自分一人だけの幸せの実現と言うことはありません。

自分が本当に幸せになろうと思うのであれば、自分だけでなく人の生命の“仏種”を開いていく。

そして自他共に幸福になっていくと言う道が、本当の意味で自分自身を強くし、幸福になっていく道であると教えられています。

その意味で、まず最初に“私たちの心の変革”から始まります。

これが「立正安国」の“立正”の根本となります。

そして社会の平和を実現することが“安国”です。
言い換えれば、末法の世の中で、一人ひとりが三毒を打ち破って仏界の生命を強くしていく。

一切は自分自身の心の変革から始まります。

そして、目覚めた一人が、また次の一人へと広げて行く。

そして社会全体を変革していく。

それが、大聖人の仏法の「立正安国」の実践となります。

このことについて、池田先生のご指導を確認しておきたいと思います。
(P63上段【1 一切は人間生命の変革から】を読む)

この中にもありますが、まず自分の生命の変革から始まります。

そして、社会そのものを変えていく。

そのために、“社会の中に、磐石なる「民衆の平和勢力」と築き上げていく”、これが、私たち創価学会の実践です。

今回は、この点を、御書を通して学んでいきます。

立正安国論は、客と主人の問答形式になっています。

全部で10問9答です。

答えがひとつ少ないのは、最後の客の10番目の問いが、そのまま答えになっているからです。
今回学ぶところは、この立正安国論の一番最後の部分で、9番目の主人の答えの後半部分と、最後の10番目の客の問いの全部となり、立正安国論の結論部分の箇所となります。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。60ページを開いてください。
今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。

■第1段

一つ目の段は、本文最初の「広く」から60ページ後ろから3行目の「豈(あに)苦しまざらんや」までです。最初に題号を読みますので、それに続いて第1段を拝読しましょう。
(本文 P60L1「広く」 ~ P60L7「豈苦しまざらんや」を拝読)

はい、有難うございます。
では、続いて60ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P60L1「広く」 ~ P60L15「どうして苦しまないことがあろうか。」を読む)

この段では、全体として「客自身の根源の迷いを断ち切る為に、主人が謗法の罪の重さを訴える」部分です。

まず最初に、本文1行目「広く」から2行目の「重んず」までですが、今回の拝読範囲の前の部分で、大集経(だいしっきょう)、仁王経、法華経、涅槃経をあげて、ここでは“衆経”と言われていますが、そうした諸経で謗法が戒められている事を言われています。

ここで、謗法について確認しておきます。
64ページを開いてください。中段の真ん中に書かれていますが、
(P64中段L10「謗法とは」 ~ L16「敵対行為を行うことです。」を読む)
ということです。

もう一度60ページの本文に戻ってください。続きを確認していきます。
本文では続いて、2行目で「悲しいかな皆正法の門を出(い)でて深く邪法の獄に入(い)る」とあります。

まず大聖人は、“なんと悲しいことであろうか”と言われています。

“謗法の人たちは、自分たちが正法の教えの門を出て、出るだけではなくで、邪法の獄に深く入ってしまっている”と言われています。
ただ正法の信心をしていないとか、法華経を選んでいないとかの次元ではありません。
ここで“邪法”とありますが、一般の宗教全体を邪法と言っているのではありません。

生命の可能性を否定して、人間性を否定する教え、これを邪法と言っています。
“正法を捨てて、この邪法の信仰を自ら選び取ってしまった。

こんな悲しいことはない”と言われている部分となります。

本文続いて3行目の「愚かなるかな」から1段目最後の「豈(あに)苦しまざらんや」の御文では、“なんと愚かな事だろうか”と、謗法の人たちのことを述べられています。

この内容については、「拝読のために」で確認しておきたいと思います。
64ページを開いてください。

中段の最後から2行目から
(P64中段最後から2行目「大聖人の時代は」 ~ 下段L6「苦しみの中にいたのです。」を読む)
と言う事です。
謗法の教えにまとわりつかれる事によって地獄界に落ちてしまう、謗法の恐ろしさを教えられています。
この謗法の重罪から一刻も早く目覚めさせていく、解決していく。

人間の持つ宿業を転換していく、無明を力強く打ち破ることが出来るのが大聖人の仏法です。

第1段は以上となります。

■第2段

引き続き第2段を学んでいきたいと思います。

60ページの本文に戻ってください。

第2段は、本文60ページ最後から2行目の「汝(なんじ)早く」から61ページ5行目の「崇(あが)む可(べ)し」までです。

それでは第2段を拝読しましょう。
(本文 P60L7「汝早く」 ~ P61L5「崇む可し」を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて60ページ下の通解を確認しておきます。

60ページ最後から3行目からです。
(通解 P60最後から3行目「あなたは」 ~ P61L12「大切にしなければならない。」を読む)

この段は、立正安国論の結論の部分にあたります。
正しい信仰によって我が生命に法性が顕れてきて、謗法を打ち破り、自身の変革を実現して行く。

その変革を実現した人が、個人の変革から社会の変革を実現していく、この原理です。

そして、最初の「汝(なんじ)早く」から次の行の「実乗の一善に帰せよ」までが「立正」にあたります。
続いて「然れば」とあるように、そうすることでどうなるかが次に述べられています。

この部分が「安国」にあたる部分となります。

では第2段を最初から見て行きたいと思います。

「立正安国論」の中核の原理、“現実を変革していく原理”が次の一節になります。
第2段最初で、まず心の変革から始まることを教えられています。
「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて」とあるように、全て人間の心の変革から始まっていきます。

それを大聖人は、「早く」とか「速やかに」と教えられています。

大切なのは「今」です。

そして、本文では次に「実乗の一善に帰せよ」とあります。

この「実乗の一善」とは、60ページ上段の語句の解説でもありますが、万人を成仏へ導いていく法華経の教えです。

文底から見れば、三大秘法の南無妙法蓮華経です。

また「一善」とは“根本の善”という意味でもあります。

「根本の善」とは、万人が元々持っている最高の善の生命である仏性を開く教えです。
この根本の善に帰依して行くこと、この法華経の教えに基づけば、自分自身の根本の善、“仏性”を開くことが出来るということです。

仏になる教えを信じて自分自身が仏になる、これが法華経の考え方です。
宗教では、その信仰の対象物を信ずる訳ですが、大聖人の仏法の場合、妙法を信ずるということは、自分の心の中にある仏性を信ずるということです。

自分の中に、様々な困難に立ち向かっていく力がある、それを引き出す為のご本尊であり、南無妙法蓮華経の唱題です。
この事が信じられるかどうか。これが「実乗の一善に帰せよ」ということです。

「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」とは、その人が仏界を力強く涌現して、そして多くの人に広めていく。

一人ひとりの仏性を開いていく実践です。

まさにそのことが「万人が仏である」という哲学を実践していく、そして、この哲学が次第に広がっていくということになります。
それが「立正安国」の「立正」になります。

この「立正」の意義について池田先生が語ってくださっています。
64ページを開いてください。上段の【2 「万人が仏」との哲学】です。
(P64上段【2 「万人が仏」との哲学】を読む)

この中では、私たち一人ひとりの「立正」から如何に「安国」を実現していくか、というプロセスが示されていると思います。
一番大事なのは、私たち自身がまず信仰の寸心を改める、この事で一人ひとりの生命の変革が始まっていく、これが一切の基盤であります。
そして信心をしている人が増えて行く。

これが社会の中に平和勢力が築かれていく事になります。

そして、私たちの行動を通して社会の意識が変わっていく。

また、社会の思想そのものが変わっていく、社会の基盤が変化していく。

この事が「安国」を目指して行く私たちの実践となります。
単に祈っていれば自動的に「安国」、平和な社会が実現するわけではありません。

一人ひとりの地道で粘り強い戦いで、社会の底流の目に見えない部分が変わっていく。

私たちの実践によって、社会の基盤の部分に「人間尊厳」の哲学や「生命尊厳」の理念を確立させていく、それが社会の変革や「安国」の実現に繋がっていくということを教えてくださっています。

この「安国」の具体的な姿について、大聖人は続く御文で述べられています。
もう一度60ページに戻ってください。

60ページ最後の行です。
「然(しか)れば則(すなわ)ち三界は皆仏国なり」とありますが、三界とは60ページ上段の語句の解説にありますが、欲界・色界・無色界の三界を言います。
ここで欲界とは、地獄界から天界の一部までを言います。

そして、天界の残った部分が、色界と無色界となります。

この3つの世界を合わせて六道全部の世界となります。

このように六道の大半は欲望の世界です。

私たちのこの現実の世界・三界、六道そのものが仏国になる、と大聖人が力強く断言されている一節です。

御文は続いて61ページの1行目ですが「仏国其れ衰んや」とあります。

その仏国は、永遠に崩れることのない国土であると言われています。

そして更に、十方はことごとく宝土で、壊れることがないと言われています。
宝土とは、上段の語句の解説にもありますが、功徳に満ちあふれた宝の国土です。
この考えは法華経の寿量品で明かされていますが、一般の仏教から見れば、大変に画期的な教えとなります。

どういう事かと言うと、普通は、“私たちが住むこの凡夫の世界を離れて、どこか別の世界に仏国土がある”というふうに考えます。

しかし法華経は、“この永遠の仏国土は、私たちの住むこの現実の世界を離れたところにはない”、更に言えば、“私たちの住むこの現実の世界で実現可能である”、また、“その為に仏が戦っているのである”ということが説かれます。

また、“その国土にいれば、私たちの身も心も安全である”と説かれているのが、本文の次の一節、3行目の「国に衰微なく」からこの段の最後の「崇(あが)む可(べ)し。」までです。

この部分の通解を、もう一度確認しておきます。
(通解 P61L7「こうして」 ~ P61L12「大切にしなければならない。」を読む)

まさにこの仏国土は、“一切衆生が幸福で安穏な境涯を築くことが出来る国土になる”と教えられています。

この原理は、「一生成仏抄」でも説かれています。
65ページを開いてください。下段の後ろから2段落目になります。
(P65L12「一生成仏抄」 ~ P65最後「築くことができるのです。」を読む)

この「安国」について、もう少し深くみていきたいと思います。
このような安国を築く事が出来れば、その結果どうなるのか。
61ページの本文に戻りまして、3行目で「身は是れ安全・心は是で禅定ならん」とあります。

これは、私たち一人ひとりのことを言っている御文です。

つまり、国が衰えることなく、土が壊れることがない「安国の実現」が私たちの幸福に繋がるという事になります。
すなわち、立正安国論というのは、“民衆の為に説かれた法理”であると言えます。

そしてこの「国」とは何か。それは、“民衆の為の国”であるということです。
大聖人ご自身が、立正安国の「国」という字について、「国構え」に「民」という字を書かれています。

まさに、民衆が根本となります。

この国を“権力者が中心の国”と捉えるのか、“民衆中心の国”と捉えるかで、立正安国論の精神が全く変わってきます。

池田先生は、“民衆本意”が大聖人の立正安国論の本意であると教えてくださっています。

正に、民衆の為の立正安国論です。
その大聖人の根本の教えを、大聖人直結で、立正安国の実現に向けて実践しているのが、私たち創価学会しかないということを確認しておきたいと思います。

第2段は以上となります。

■ 第3段

続いて第3段を学んでいきます。

第3段は、本文61ページの最後から5行目の「客の曰く」から62ページの6行目の「疑う可(べ)からず」までです。

それでは第3段を拝読しましょう。
(本文 P61L6「客の曰く」 ~ P62L6「疑う可からず」まで を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて61ページ下の通解を確認しておきます。

真ん中の「客は言った。」からです。
(通解 P61L13「客は言った。」 ~ P62L12「疑うことはできない。」 を読む)

立正安国論は、最初に申し上げた通り10問9答の問答形式となっていますが、ここからが最後の10番目の問いにあたります。

この最後の問答は、客が質問ではなく自分の決意を述べて終わっています。

従って、このあと主人の言葉があるのではなく、客の決意と共に終わっています。
立正安国論全体の問答を通して、目の前の一人の客が立ち上がって、そして新たな実践に向かって決意をしていく場面です。

前半の、この第3段では、「悪の本質」について述べられていきます。

御文では、61ページの第3段の最初に「客の曰く、今生(こんじょう)後生(ごしょう)誰か慎まざらん誰か和(したが)わざらん」とあります。

「(通解)今生も後生も、誰が謗法を避けて慎まないことがあろうか、誰が正法に心を合わせて従わないことがあろうか」と、客が、謗法の恐ろしさと、正法に心を合わせていくことの重要性を認識したという事が示されています。


そして、続く御文のところでは、最後から4行目からですが「(通解)この経文を開いて、仏の言葉を詳しくうけたまわってみると、正法を謗(そし)る科(とが)は至って重く、正法を破壊する罪はまことに深い」と、正法誹謗の罪の恐ろしさを客が痛感しています。

では、なぜこれ程までに国を挙げて謗法をしてしまったのか?

その事について、客は、自らの言葉で、次の御文で説明していきます。

すなわち61ページの最後から2行目の「我一仏を」からになりますが「(通解)私が阿弥陀の一仏を信じて諸仏をなげうち、浄土の三部経を仰いで、諸経をさしおいたのは、自分の利益を考えただけの思いからではなく、先達(せんだつ)の言葉に従ったものである。

国中の人々もまた同じである」と述べています。

この事は非常に大事な部分です。

つまり、「念仏を信じて法華経を否定するようになってしまったのは、先達(せんだつ)の言葉に従った為である」と言っています。

“先達(せんだつ)”とは、ここでは念仏の教えを広めた人たち、すなわち日本では法然をさします。

この人たちの言葉に従ってしまったから、ここまで謗法の罪をおかしてしまった。

これこそが“悪の本質”である、ということです。

「悪知識」の恐ろしさを示しているところです。

この悪知識の恐ろしさは、単に間違った教えを説くだけでなく、法華経を捨てさせ、更には、法華経を誹謗する方向に仕向けてしまう。

それが悪知識の恐ろしさです。
悪知識とは、仏法破壊の僧侶・高僧たちの事です。

そして、客一人だけではなく、日本中の人がその悪知識の影響を受けてしまったと指摘しています。
そして、客は、“やっとそのことに目覚めた、気が付いた”、と言っているのです。

御文では続いて、62ページの3行目「今の世には」からにありますが、「(通解)今世には心をわずらわせ、来世には阿鼻地獄に堕ちてしまうことは経文に明らかであり、その道理はつまびらかである。疑うことはできない。」と言っています。

つまり、こうした悪僧の存在が人々に謗法をさせて、そして、その結果、国が乱れている。

ようやくそのことがわかった、と言う事です。
だからこそ、その悪を打ち破る戦いをしていかないと国は良くならない、と言う事になります。

このことについての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
66ページを開いてください。上段の【3】です。
(P66上段【3 言論戦で悪と戦う】を読む)

このご指導にある通り、私たちが対話をしていくのも、その根底には折伏精神があります。

相手の生命を変える為の戦いをしている、これが立正安国の実践であるという事を確認しておきたいと思います。

以上で、第3段を終わります。

■ 第4段

それでは最後の第4段を学んでいきます。

62ページに戻ってください。

第4段は、最後から5行目の「弥(いよい)よ」から最後までです。
それでは第4段を拝読しましょう。
(本文 P62L6「弥よ」 ~ 最後まで を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて下の通解を確認しておきます。真ん中少し後ろの「あなた(主人)の」からです。
(通解 P62L13「あなた」 ~ 最後 を読む)

ここでは、客は、「自分だけではなく、他の人の誤りを戒めて行く」との決意の言葉で結ばれていきます。
対話を通してまず一人が目覚めて立ち上がり、一人から一人へ、そしてまた次の一人へと広げて行く。

そして多くの民衆が立ち上がっていくという立正安国の実践が示されています。

つまり、まず一人の目覚めた人が出て立ち上がっていく。

そしてその人が周りの人を、対話を通して変えて行く。

生命と生命の触発、一対一の対話を行っていくことが「立正安国」の実践に他なりません。

この対話の重要性についての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
66ページを開いてください。上段の【4】です。
(P66上段【4 新たな対話への出発】を読む)

このご指導の中で、5行目に「一つの対話の終わりは、新たな対話への出発であった」とあります。
ここは、自分が相手に対話するだけでなく、またその相手が他の人に対話をしていく、という事です。

まさに「二人・三人・百人と 次第に唱へつたふるなり」と御書にある通りです。

この広がりを、誰か特別な人ではなく、民衆自身が目覚めて、そして対話を通して広げていく。

これが立正安国の実践です。

そして、日々その実践を行っているのが、私たち創価学会です。

一対一の対話から、一人を変革し立ち上がらせ、そして一人から一人へと広げていくことが、個人の幸福と社会の繁栄を築いていく確かな実践となります。

最後になりますが、池田先生が昨年の「SGIの日」記念提言で立正安国論に触れられました。
67ページで、その事について要点を書かれていますので、確認しておきたいと思います。

ここでは、立正安国論が現代にあってますます重要であるという事を、池田先生が3つの視点で示して下さっている内容です。

まず1番目ですが、67ページ中段の最後から2行目からです。
(P67中段最後から2行目「第一は」 ~ 下段L1「思想哲学です」 を読む)

立正安国論の国とは何か。

今日の御文で学んだように、国の中心におくべきものは権力者ではなくて、そこに暮らす民衆であるという思想哲学です。

民衆のために国が存在する、民が中心となる国家です。これを時代の精神にしていかなければならないとの視点です。

続いて2番目ですが、その次の行からですが、
(P67下段L2「第2は」 ~ L6「確立です。」 を読む)

これは「同苦」という思想となると思います。

目の前の人の苦悩を自分のことと捉えて、その解決に向かって心を砕いていく。

私たち学会員が日々行っていることに他なりません。

私たちの日々の学会活動の中に、この自他共の幸福の実現、立正安国の実践があります。

そして最後の3番目ですが、その次の行からですが、
(P67下段L7「そして第3は」 ~ L13「洞察です。」 を読む)

この「憂いの共有」は、立正安国論全体の冒頭の「旅客来たりて嘆いて曰く」から始まる憂いであり、この憂いの共有から対話が始まります。

そして、「誓いの共有」とは、本日学んだ部分です。

客もまた決意して、共に立ち上がり戦っていくという誓いで終わるという事です。
そして、具体的に何をするのかが「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」です。

わかり易く言うと「仏界の涌現」となります。

一人ひとりにある無限の可能性を開いていくこととなります。

逆に、その実践でしか時代を救うことが出来ないと言われています。
この実践をしているのが、私たちの対話の実践に他なりません。

私たちこそが立正安国の実践者であると言えると思います。

そのために大切なのは、私たち一人ひとりが多くの人とつながっていく事です。

このことついての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
67ページ上段の【5】です。
(P67上段【5 「つながりの拡大」を】を読む)

キーワードは、「一対一の対話」であり「善の連帯」です。

私たち学会員の対話こそが、時代を動かしていく立正安国の対話であると自身と誇りをもって前進していきたいと思います。

今回の御書の学習は以上となります。

■最後に

さあ、この4月、また5月と、大きく動いて、社会に幸福を広げる「友好対話」に挑戦していきましょう。

(各自、感じたことや決意など、それぞれの立場で追加してください。)

以上です。有難うございました。

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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
  ⇒忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
   URL:http://ougon.sdbx.jp/

  【利用方法】  ⇒ 忍者サンドボックスについて


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