座談会御書

毎月の座談会御書の研鑽にご活用ください。

別途、実際の講義資料のファイルもご用意しています。
(実際に則して、所要時間8分程度を目指しています。)
但し、ご自身の教学力向上の為にも、資料を使わずに、自らの言葉で講義する様にしてください。
座談会週間に間に合わない時もありますが、ご容赦下さい。

御書講義(御書学習会)

部別御書講義の研鑽にご活用ください。
資料の紹介そのものが出来ないこともありますが、ご容赦下さい。

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教学関連のさまざまな資料をご紹介していきます。

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その他、折々の資料をご紹介していきます。

「御書講義(御書学習会) 」カテゴリ記事一覧


撰時抄 2014年4月度 御書講義(御書学習会)

2014年4月度 御書講義(御書学習会)「撰時抄」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   287ページ14行目 ~ 288ページ 7行目
 編年体御書 750ページ14行目 ~ 751ページ 7行目

 「 第三には去年文永十一年四月八日 ~ 此れよりほかに又もとむる事なかれ 」

4月度御書講義の「撰時抄」の講義用資料を作成しました。

宜しくお願い致します。

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2014年4月度 教学の日 御書講義 「撰時抄」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは4月度の御書講義を始めたいと思います。
大白蓮華4月号の46ページを開いてください。

今回の拝読御書は「撰時抄(せんじしょう)」です。

早速ですが、55ページを開いてください。

中段の「拝読のために」の後ろから3行目からですが、“ 「撰時抄」は、末法の世界広宣流布を宣言された御書です。 ” とあります。

“末法という時は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経が一閻浮提に広宣流布すべき時である”、ということを教えられた御書です。 今、“世界広布新時代の開幕”という時にあって、日蓮大聖人の広宣流布への大確信を学んでいく御書講義となります。

内容にはいる前に、上段にある池田先生のご指導の「1」を確認しておきたいと思います。
(P55上段【1 学会の使命は世界広布】を読む)

このご指導は、世界広布新時代の開幕を告げる、今年の元日の、「新・人間革命」の冒頭の部分です。
先生は、ここで、「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」 との御文を引かれていますが、これは実は「撰時抄」の一節です。

この御文のままに、法華経の肝要である南無妙法蓮華経を、一閻浮提、すなわち全世界に広宣流布すべき時である、と立ち上がられたのが日蓮大聖人です。
そして、この大聖人の仰せ通りに行動し、“一閻浮提広宣流布”を現実のものとしたのが創価学会であり、また、世界で言えばSGIのメンバーとなります。

私たちが今、この世界広布の大きなうねりの中にいることを確信して、大きく境涯を開いていきたいと思います。

そのために、今回の御書講義で、大聖人の広宣流布への力強い実践と確信を深く拝して、大聖人のご精神を学んでいきたいと思います。

■背景と大意

それでは、47ページを開いてください。

下段の「撰時抄」の背景と大意を確認しておきたいと思います。

(P47下段【撰時抄】の「本抄は」~P47最後「明かされています。」を読む)

「撰時抄」の大きな柱は、まず最初に、“末法に弘めるべき法が南無妙法蓮華経である” ということを明かされます。

そしてその後、“それでは、この正法を弘める人はだれか?” ということで、“大聖人こそが、正法を弘める閻浮提第一の法華経の行者である” と明かされますが、今回学ぶ範囲は、この部分となります。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。

52ページを開いてください。

今回の拝読範囲は、3つの段に分かれます。

(以後、続きは、PDFファイル・Wordファイルにて全文掲載)


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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
  ⇒忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
   URL:http://ougon.sdbx.jp/

  【利用方法】  ⇒ 忍者サンドボックスについて


開目抄 2014年2月度 御書講義(御書学習会)

2014年2月度 御書講義(御書学習会)「開目抄」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   200ページ 9行目 ~ 201ページ 1行目
 編年体御書 428ページ11行目 ~ 429ページ 2行目

 「 日本国に此れをしれる者は ~ 謀反なんどの者のごとし 」

2月度御書講義の「開目抄」の講義用資料を作成しました。

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2014年2月度 教学の日 御書講義 「開目抄」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは本年最初の御書講義を始めたいと思います。

大白蓮華2月号の50ページを開いてください。

今回の拝読御書は「開目抄(かいもくしょう)」です。

今回は、開目抄の中でも、日蓮大聖人が立宗宣言の直前を振り返った箇所を学び、世界広布新時代の開幕にあたり、「誓願」の重要性を改めて学んでいく御書講義となります。

■背景と大意

はじめに、51ページ下段の背景と大意を確認しておきます。
真ん中の「開目抄」のところからです。

(P51下段【開目抄】の「本抄は」~P51最後「示されています。」を読む)

はい。

では次に、59ページを開いてください。

【拝読のために】を確認しておきたいと思います。

(P59中段【拝読のために】の「日蓮大聖人の仏法は」~P59中段L8「『開目抄』です。」を読む)
とあります。

少し時代背景を確認しておきますが、開目抄御執筆の当時、大聖人はじめ多くの門下が迫害にあい、退転者が続出していました。
そのような中で、門下の間に、「大聖人が法華経の行者であるなら、どうして佐渡に流されたのか。なぜ諸天善神の加護が無いのか。」という疑念が広がっていました。
この疑問に応じる形で著されたのが「開目抄」です。

この疑問に答えられるために、本抄では、大聖人ご自身が末法の法華経の行者であることは間違いないことが明かされます。
そのために、第1に、改めて、“法華経こそが末法の一切衆生を救済する根本の教えであること。”
また第2に “大聖人ご自身の実践が、全部、法華経の経文どおりであること” を述べられていきます。

【拝読のために】に戻ります。先ほどの続きの、中段最後から3行目からですが、
(P59中段L9「本抄の前半では」~P59下段L12「拝していきます。」を読む)

このことについて、上段にある池田先生のご指導の「1」を確認しておきたいと思います。
(P59上段【1 確固たる哲学と信念】を読む)

はい。
ここで先生が語って下さっているように、この仏法、法華経は、“全人類を救っていける成仏の教え”であって、そして大聖人が、広宣流布への偉大なる信念で、この大法を不惜身命で弘めていくことを誓った、ということです。


“最高の信念”で、大聖人が大難につぐ大難のご生涯を送っていかれた。
そのことをそのまま述べられているのが「開目抄」です。

今回の御書講義では、開目抄の中の“立宗宣言の直前の決意=誓願”を述べられた部分を学んでいきます。

ここで、“誓願”について、もう少し確認しておきたいと思います。

“大聖人の誓願”といえば、私たちからすると、何か遠い出来事のように感じてしまうかもしれません。

しかし、実は、私たち学会員は、朝晩の勤行のときに“広宣流布”を祈念しています。
皆さん朝晩、「広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。」と祈念し、また最後には、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念していますが、このことです。

従って、私たち学会員は、毎朝・毎晩、大聖人と同じ誓願に立っているという事になります。

この“誓願”は、私たち自身の日々の活動での実践と言えますし、また、私たちしか、この大聖人の誓願を日々祈り、そして行動している人は他にいない、という事にもなります。

“大聖人と同じ誓願”・・・・、この誓願を実践するために大事な要素が2つあります。

一つ目が、この仏法が「最高の法」であるということです。
“万人がみな仏である”という事を説き明かした仏法でなければ、本当の意味で、民衆救済の請願を実践していくことは出来ません。

そして、二つ目は、「信念と行動」です。
法が最高であっても、そのことを信じて実践し抜いていく行動が大事です。

“最高の哲学”と“最高の信念”を持っている、これが私たち、大聖人の仏法を実践している学会員の、最高の確信と最高の誇りという事になります。
この私たち学会員全員の“信心の出発点”が、今日学びます “大聖人の立宗宣言直前の決意” から始まっています。

この私たちの信心の原点を、今日は一緒に学び合っていきたいと思います。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。56ページを開いてください。
今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。

(以後、続きは、PDFファイル・Wordファイルにて全文掲載)

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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
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顕仏未来記 2013年10月度 御書講義(御書学習会)

2013年10月度 御書講義(御書学習会)「顕仏未来記」

御書講義 拝読範囲:
 御書全集   509ページ 2行目 ~ 11行目
 編年体御書 562ページ11行目 ~ 563ページ2行目


 「 日蓮此の道理を存して ~ 三国四師と号く 」

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2013年10月度 教学の日 御書講義 「顕仏未来記」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは10月度の御書講義を始めたいと思います。

大白蓮華の28ページを開いてください。今回の拝読御書は「顕仏未来記」です。

■背景と大意

はじめに、29ページ下段の背景と大意を確認しておきます。

(P29下段L1「本抄は」~P29最後「末法広宣流布の未来記が示されています。を読む)

本抄は「仏の未来記を顕す」という題号にあるように、「仏の未来記」、すなわち、仏が未来を予見し示したものを、現実に証明し、そして成就するのは誰か。「顕仏未来記」はこの根本を示された御書です。

■「未来記」の意義

本抄の御文の内容に入る前に、、この「仏の未来記」とは誰の未来記かについて、はじめに確認しておきたいと思います。

今回の拝読範囲ではありませんが、大聖人は、本抄の冒頭で、“法華経の第七に云く「我が滅度の後(のち)・後の五百歳の中(うち)に閻浮提(えんぶだい)に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書505㌻)”と法華経の経文を掲げられました。
これは、末法の広宣流布を予言した釈尊の「未来記」です。
そして、この経文を、釈尊の未来記を虚妄にしないで現実のものとされたのが大聖人です。

37ページを開いてください。
「拝読のために」の中段の5行目にも書かれていますが、
“「仏の未来記」とは、一往は釈尊の未来記を示します。しかし、本抄の元意は、日蓮大聖人の末法広宣流布の未来記を明かされることにあります。”
と書かれています。

大聖人ご自身が、先ほどの「釈尊の未来記」を事実の上に顕されるだけでなく、更に深く立ち入って、日蓮大聖人こそが末法の御本仏であると言う実証の上から、大聖人ご自身の未来記を明かされます。

このように、「仏の未来記」には、釈尊の未来記と大聖人の未来記の2つの未来記があります。

では「日蓮大聖人の未来記」とは、どのようなものでしょうか?

37ページ下段の真ん中に、
“そして本抄では、末法万年、一閻浮提(全世界)のすべての民衆を救う大法が今、出現して、世界中の人々を幸福にして平和の楽土を築いていくという、「仏法西還」(世界広宣流布)の未来記が示されています。” とあります。

「仏法西還」とは、“仏法発祥の地のインドに還る”という文字通りの意味だけではありません。
当時の日本からみて、世界とは日本と中国・韓国・インドなどで、これが当時の世界観でした。従って、日本から西のこれらの国に大聖人の仏法が広がると言うことは、現代でいえば、世界広宣流布の意味になります。
つまり、「日蓮大聖人の未来記」とは“世界広宣流布”となります。これ以外に末法の御本仏の未来記はありません。

ゆえに、広く門下の立場で拝するならば、大聖人の弟子の実践が、「大聖人の未来記」を事実の上に顕すものでなくてはなりません。

そうでなければ、御本仏の未来記は虚妄となってしまいます。

37ページ中段の後半で、“大聖人の未来記を現実のものとしたのが創価学会です。”とあります。
初代・牧口先生、第二代・戸田先生、そして第三代・池田先生の師弟不二の大闘争によって、大聖人の仏法は世界192ヶ国・地域へと広がってきました。
顕仏未来記は、一往、当時の門下に対しての遺命の書ではありますが、その本義は、広宣流布の為に不惜身命で活動する未来の弟子に対しての遺命の書と拝していきたいと思います。

そのことについての池田先生のご指導を確認しておきたいと思います。
(P37上段【1 大聖人直結の学会精神の源流】を読む)

■本文

今回の御書講義で学ぶの範囲は、顕仏未来記の一番最後の部分で、大聖人滅後の弟子達に、必ず広宣流布を成就していくように、その実践を強調され、広布の一切を弟子に託された部分となります。

それでは本文に入っていきたいと思います。34ページを開いてください。
今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。

(以後、続きは、PDFファイル・Wordファイルにて全文掲載)

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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
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立正安国論 2013年4月度 御書講義(御書学習会)

4月度御書講義(御書学習会)「立正安国論」

御書講義 拝読範囲: 
 御書全集  32ページ13行目 ~  33ページ4行目 
 編年体御書 170ページ13行目 ~ 171ページ5行目

「 広く衆経を披きたるに ~ 誡めんのみ 」

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2013年4月度 教学の日 御書講義 「立正安国論」

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは4月度の御書講義を始めたいと思います。
大白蓮華の54ページを開いてください。今回の拝読御書は「立正安国論」です。

題号の左に「民衆の幸福と平和へ 勇気と正義の対話を!」と書かれています。
正しい価値観に基づいた平和な社会を目指して、学会理解を広げる対話の原動力として、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。

■本抄拝読の意義

本抄の内容に入る前に、今月の御書講義で「立正安国論」を学ぶ意義について、はじめに確認しておきたいと思います。

では、63ページを開いてください。
中段の「拝読のために」の冒頭にも記載されていますが、今年の4月28日で、日蓮大聖人の立宗宣言から760年を迎えます。
創価学会では、戸田先生が会長に就任された翌年に立宗700年を迎えました。

日蓮大聖人の立宗宣言から700年の歳月を経て、創価学会が本格的な広宣流布の活動を始め、それから60年、現在192ヶ国・地域に広がっています。

創価学会が初めて、立正安国の世界を現実のものとしたと言えると思います。

この日蓮大聖人の民衆救済の御精神、立正安国の実践を正しく担ってきた唯一の団体か創価学会です。
今月は、私たち創価学会が実践している、この「立正安国」の意義について、御書に基づいて学んで行きたいと思います。

■ 背景と大意

55ページに戻ってください。
はじめに背景と大意ですが、55ページの冒頭に書かれている通り、本書、立正安国論は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)に、鎌倉幕府の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出された「国主諌暁の書」です。
また、上段の最後の行にありますが、題号の「立正安国」とは「正法を立てて国を安んず」と言う意味です。

“人々の心に正法を打ち立てることが、国土の平和を実現する根本の道である”と言うことが示されています。

同じことを、「拝読のために」の中でも述べられています。
もう一度、63ページを開いてください。中段の後ろから6行目に、こう書かれています。
(P63中段後ろから6行目「末法という」 ~ P63下段L4「展開するものです。」を読む)

まずこの「立正安国」の実践の大前提として、「私たちが生きるこの時代は“末法”の時代である」と言うことです。
末法とは、人々の心の中に貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒が充満し、争いが絶えない時代となっていると言うことです。

この争いの時代の中に一人ひとりが幸福を築く為にはどうしたらよいのか。

その結論は、一人ひとりの中にある仏性“仏の生命”を開くしかありません。

末法の時代であるからこそ、一人ひとりが強くならなければならない。 ―― では、どうすれば強くすることが出来るのか。

日蓮大聖人の仏法は、一人ひとりが自分の生命の中にある仏性を開いていく、そして、一人ひとりが輝いていき、無限大の可能性を開くことによって、末法の激流に立ち向かっていく。大聖人の仏法は、そのことを教えている仏法であると言えます。
その意味で、信仰とは、一人の人間の内面の変革から始まりますが、内面の変革だけに終わりません。広く社会を変革する行動へと展開していく事になります。
この事について、今月の座談会御書で学ぶ御文ですが、少し触れておきたいと思います。

御書講義の範囲から離れますが、56ページを開いてください。
(P56の御文を拝読)

この御文については、隣の57ページの上段の真ん中あたりに書かれていますが、
(P57上段L12「すなわち」~L16「教えられているのです」を読む)
とあります。

私たちは、自分ひとりの幸せにとどまらず、人々の幸福・社会の平和と安穏を築く実践をしています。

自他共の幸福の実現です。

自分一人だけの幸せの実現と言うことはありません。

自分が本当に幸せになろうと思うのであれば、自分だけでなく人の生命の“仏種”を開いていく。

そして自他共に幸福になっていくと言う道が、本当の意味で自分自身を強くし、幸福になっていく道であると教えられています。

その意味で、まず最初に“私たちの心の変革”から始まります。

これが「立正安国」の“立正”の根本となります。

そして社会の平和を実現することが“安国”です。
言い換えれば、末法の世の中で、一人ひとりが三毒を打ち破って仏界の生命を強くしていく。

一切は自分自身の心の変革から始まります。

そして、目覚めた一人が、また次の一人へと広げて行く。

そして社会全体を変革していく。

それが、大聖人の仏法の「立正安国」の実践となります。

このことについて、池田先生のご指導を確認しておきたいと思います。
(P63上段【1 一切は人間生命の変革から】を読む)

この中にもありますが、まず自分の生命の変革から始まります。

そして、社会そのものを変えていく。

そのために、“社会の中に、磐石なる「民衆の平和勢力」と築き上げていく”、これが、私たち創価学会の実践です。

今回は、この点を、御書を通して学んでいきます。

立正安国論は、客と主人の問答形式になっています。

全部で10問9答です。

答えがひとつ少ないのは、最後の客の10番目の問いが、そのまま答えになっているからです。
今回学ぶところは、この立正安国論の一番最後の部分で、9番目の主人の答えの後半部分と、最後の10番目の客の問いの全部となり、立正安国論の結論部分の箇所となります。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。60ページを開いてください。
今回の拝読範囲は、4つの段に分かれます。

■第1段

一つ目の段は、本文最初の「広く」から60ページ後ろから3行目の「豈(あに)苦しまざらんや」までです。最初に題号を読みますので、それに続いて第1段を拝読しましょう。
(本文 P60L1「広く」 ~ P60L7「豈苦しまざらんや」を拝読)

はい、有難うございます。
では、続いて60ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P60L1「広く」 ~ P60L15「どうして苦しまないことがあろうか。」を読む)

この段では、全体として「客自身の根源の迷いを断ち切る為に、主人が謗法の罪の重さを訴える」部分です。

まず最初に、本文1行目「広く」から2行目の「重んず」までですが、今回の拝読範囲の前の部分で、大集経(だいしっきょう)、仁王経、法華経、涅槃経をあげて、ここでは“衆経”と言われていますが、そうした諸経で謗法が戒められている事を言われています。

ここで、謗法について確認しておきます。
64ページを開いてください。中段の真ん中に書かれていますが、
(P64中段L10「謗法とは」 ~ L16「敵対行為を行うことです。」を読む)
ということです。

もう一度60ページの本文に戻ってください。続きを確認していきます。
本文では続いて、2行目で「悲しいかな皆正法の門を出(い)でて深く邪法の獄に入(い)る」とあります。

まず大聖人は、“なんと悲しいことであろうか”と言われています。

“謗法の人たちは、自分たちが正法の教えの門を出て、出るだけではなくで、邪法の獄に深く入ってしまっている”と言われています。
ただ正法の信心をしていないとか、法華経を選んでいないとかの次元ではありません。
ここで“邪法”とありますが、一般の宗教全体を邪法と言っているのではありません。

生命の可能性を否定して、人間性を否定する教え、これを邪法と言っています。
“正法を捨てて、この邪法の信仰を自ら選び取ってしまった。

こんな悲しいことはない”と言われている部分となります。

本文続いて3行目の「愚かなるかな」から1段目最後の「豈(あに)苦しまざらんや」の御文では、“なんと愚かな事だろうか”と、謗法の人たちのことを述べられています。

この内容については、「拝読のために」で確認しておきたいと思います。
64ページを開いてください。

中段の最後から2行目から
(P64中段最後から2行目「大聖人の時代は」 ~ 下段L6「苦しみの中にいたのです。」を読む)
と言う事です。
謗法の教えにまとわりつかれる事によって地獄界に落ちてしまう、謗法の恐ろしさを教えられています。
この謗法の重罪から一刻も早く目覚めさせていく、解決していく。

人間の持つ宿業を転換していく、無明を力強く打ち破ることが出来るのが大聖人の仏法です。

第1段は以上となります。

■第2段

引き続き第2段を学んでいきたいと思います。

60ページの本文に戻ってください。

第2段は、本文60ページ最後から2行目の「汝(なんじ)早く」から61ページ5行目の「崇(あが)む可(べ)し」までです。

それでは第2段を拝読しましょう。
(本文 P60L7「汝早く」 ~ P61L5「崇む可し」を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて60ページ下の通解を確認しておきます。

60ページ最後から3行目からです。
(通解 P60最後から3行目「あなたは」 ~ P61L12「大切にしなければならない。」を読む)

この段は、立正安国論の結論の部分にあたります。
正しい信仰によって我が生命に法性が顕れてきて、謗法を打ち破り、自身の変革を実現して行く。

その変革を実現した人が、個人の変革から社会の変革を実現していく、この原理です。

そして、最初の「汝(なんじ)早く」から次の行の「実乗の一善に帰せよ」までが「立正」にあたります。
続いて「然れば」とあるように、そうすることでどうなるかが次に述べられています。

この部分が「安国」にあたる部分となります。

では第2段を最初から見て行きたいと思います。

「立正安国論」の中核の原理、“現実を変革していく原理”が次の一節になります。
第2段最初で、まず心の変革から始まることを教えられています。
「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて」とあるように、全て人間の心の変革から始まっていきます。

それを大聖人は、「早く」とか「速やかに」と教えられています。

大切なのは「今」です。

そして、本文では次に「実乗の一善に帰せよ」とあります。

この「実乗の一善」とは、60ページ上段の語句の解説でもありますが、万人を成仏へ導いていく法華経の教えです。

文底から見れば、三大秘法の南無妙法蓮華経です。

また「一善」とは“根本の善”という意味でもあります。

「根本の善」とは、万人が元々持っている最高の善の生命である仏性を開く教えです。
この根本の善に帰依して行くこと、この法華経の教えに基づけば、自分自身の根本の善、“仏性”を開くことが出来るということです。

仏になる教えを信じて自分自身が仏になる、これが法華経の考え方です。
宗教では、その信仰の対象物を信ずる訳ですが、大聖人の仏法の場合、妙法を信ずるということは、自分の心の中にある仏性を信ずるということです。

自分の中に、様々な困難に立ち向かっていく力がある、それを引き出す為のご本尊であり、南無妙法蓮華経の唱題です。
この事が信じられるかどうか。これが「実乗の一善に帰せよ」ということです。

「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」とは、その人が仏界を力強く涌現して、そして多くの人に広めていく。

一人ひとりの仏性を開いていく実践です。

まさにそのことが「万人が仏である」という哲学を実践していく、そして、この哲学が次第に広がっていくということになります。
それが「立正安国」の「立正」になります。

この「立正」の意義について池田先生が語ってくださっています。
64ページを開いてください。上段の【2 「万人が仏」との哲学】です。
(P64上段【2 「万人が仏」との哲学】を読む)

この中では、私たち一人ひとりの「立正」から如何に「安国」を実現していくか、というプロセスが示されていると思います。
一番大事なのは、私たち自身がまず信仰の寸心を改める、この事で一人ひとりの生命の変革が始まっていく、これが一切の基盤であります。
そして信心をしている人が増えて行く。

これが社会の中に平和勢力が築かれていく事になります。

そして、私たちの行動を通して社会の意識が変わっていく。

また、社会の思想そのものが変わっていく、社会の基盤が変化していく。

この事が「安国」を目指して行く私たちの実践となります。
単に祈っていれば自動的に「安国」、平和な社会が実現するわけではありません。

一人ひとりの地道で粘り強い戦いで、社会の底流の目に見えない部分が変わっていく。

私たちの実践によって、社会の基盤の部分に「人間尊厳」の哲学や「生命尊厳」の理念を確立させていく、それが社会の変革や「安国」の実現に繋がっていくということを教えてくださっています。

この「安国」の具体的な姿について、大聖人は続く御文で述べられています。
もう一度60ページに戻ってください。

60ページ最後の行です。
「然(しか)れば則(すなわ)ち三界は皆仏国なり」とありますが、三界とは60ページ上段の語句の解説にありますが、欲界・色界・無色界の三界を言います。
ここで欲界とは、地獄界から天界の一部までを言います。

そして、天界の残った部分が、色界と無色界となります。

この3つの世界を合わせて六道全部の世界となります。

このように六道の大半は欲望の世界です。

私たちのこの現実の世界・三界、六道そのものが仏国になる、と大聖人が力強く断言されている一節です。

御文は続いて61ページの1行目ですが「仏国其れ衰んや」とあります。

その仏国は、永遠に崩れることのない国土であると言われています。

そして更に、十方はことごとく宝土で、壊れることがないと言われています。
宝土とは、上段の語句の解説にもありますが、功徳に満ちあふれた宝の国土です。
この考えは法華経の寿量品で明かされていますが、一般の仏教から見れば、大変に画期的な教えとなります。

どういう事かと言うと、普通は、“私たちが住むこの凡夫の世界を離れて、どこか別の世界に仏国土がある”というふうに考えます。

しかし法華経は、“この永遠の仏国土は、私たちの住むこの現実の世界を離れたところにはない”、更に言えば、“私たちの住むこの現実の世界で実現可能である”、また、“その為に仏が戦っているのである”ということが説かれます。

また、“その国土にいれば、私たちの身も心も安全である”と説かれているのが、本文の次の一節、3行目の「国に衰微なく」からこの段の最後の「崇(あが)む可(べ)し。」までです。

この部分の通解を、もう一度確認しておきます。
(通解 P61L7「こうして」 ~ P61L12「大切にしなければならない。」を読む)

まさにこの仏国土は、“一切衆生が幸福で安穏な境涯を築くことが出来る国土になる”と教えられています。

この原理は、「一生成仏抄」でも説かれています。
65ページを開いてください。下段の後ろから2段落目になります。
(P65L12「一生成仏抄」 ~ P65最後「築くことができるのです。」を読む)

この「安国」について、もう少し深くみていきたいと思います。
このような安国を築く事が出来れば、その結果どうなるのか。
61ページの本文に戻りまして、3行目で「身は是れ安全・心は是で禅定ならん」とあります。

これは、私たち一人ひとりのことを言っている御文です。

つまり、国が衰えることなく、土が壊れることがない「安国の実現」が私たちの幸福に繋がるという事になります。
すなわち、立正安国論というのは、“民衆の為に説かれた法理”であると言えます。

そしてこの「国」とは何か。それは、“民衆の為の国”であるということです。
大聖人ご自身が、立正安国の「国」という字について、「国構え」に「民」という字を書かれています。

まさに、民衆が根本となります。

この国を“権力者が中心の国”と捉えるのか、“民衆中心の国”と捉えるかで、立正安国論の精神が全く変わってきます。

池田先生は、“民衆本意”が大聖人の立正安国論の本意であると教えてくださっています。

正に、民衆の為の立正安国論です。
その大聖人の根本の教えを、大聖人直結で、立正安国の実現に向けて実践しているのが、私たち創価学会しかないということを確認しておきたいと思います。

第2段は以上となります。

■ 第3段

続いて第3段を学んでいきます。

第3段は、本文61ページの最後から5行目の「客の曰く」から62ページの6行目の「疑う可(べ)からず」までです。

それでは第3段を拝読しましょう。
(本文 P61L6「客の曰く」 ~ P62L6「疑う可からず」まで を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて61ページ下の通解を確認しておきます。

真ん中の「客は言った。」からです。
(通解 P61L13「客は言った。」 ~ P62L12「疑うことはできない。」 を読む)

立正安国論は、最初に申し上げた通り10問9答の問答形式となっていますが、ここからが最後の10番目の問いにあたります。

この最後の問答は、客が質問ではなく自分の決意を述べて終わっています。

従って、このあと主人の言葉があるのではなく、客の決意と共に終わっています。
立正安国論全体の問答を通して、目の前の一人の客が立ち上がって、そして新たな実践に向かって決意をしていく場面です。

前半の、この第3段では、「悪の本質」について述べられていきます。

御文では、61ページの第3段の最初に「客の曰く、今生(こんじょう)後生(ごしょう)誰か慎まざらん誰か和(したが)わざらん」とあります。

「(通解)今生も後生も、誰が謗法を避けて慎まないことがあろうか、誰が正法に心を合わせて従わないことがあろうか」と、客が、謗法の恐ろしさと、正法に心を合わせていくことの重要性を認識したという事が示されています。


そして、続く御文のところでは、最後から4行目からですが「(通解)この経文を開いて、仏の言葉を詳しくうけたまわってみると、正法を謗(そし)る科(とが)は至って重く、正法を破壊する罪はまことに深い」と、正法誹謗の罪の恐ろしさを客が痛感しています。

では、なぜこれ程までに国を挙げて謗法をしてしまったのか?

その事について、客は、自らの言葉で、次の御文で説明していきます。

すなわち61ページの最後から2行目の「我一仏を」からになりますが「(通解)私が阿弥陀の一仏を信じて諸仏をなげうち、浄土の三部経を仰いで、諸経をさしおいたのは、自分の利益を考えただけの思いからではなく、先達(せんだつ)の言葉に従ったものである。

国中の人々もまた同じである」と述べています。

この事は非常に大事な部分です。

つまり、「念仏を信じて法華経を否定するようになってしまったのは、先達(せんだつ)の言葉に従った為である」と言っています。

“先達(せんだつ)”とは、ここでは念仏の教えを広めた人たち、すなわち日本では法然をさします。

この人たちの言葉に従ってしまったから、ここまで謗法の罪をおかしてしまった。

これこそが“悪の本質”である、ということです。

「悪知識」の恐ろしさを示しているところです。

この悪知識の恐ろしさは、単に間違った教えを説くだけでなく、法華経を捨てさせ、更には、法華経を誹謗する方向に仕向けてしまう。

それが悪知識の恐ろしさです。
悪知識とは、仏法破壊の僧侶・高僧たちの事です。

そして、客一人だけではなく、日本中の人がその悪知識の影響を受けてしまったと指摘しています。
そして、客は、“やっとそのことに目覚めた、気が付いた”、と言っているのです。

御文では続いて、62ページの3行目「今の世には」からにありますが、「(通解)今世には心をわずらわせ、来世には阿鼻地獄に堕ちてしまうことは経文に明らかであり、その道理はつまびらかである。疑うことはできない。」と言っています。

つまり、こうした悪僧の存在が人々に謗法をさせて、そして、その結果、国が乱れている。

ようやくそのことがわかった、と言う事です。
だからこそ、その悪を打ち破る戦いをしていかないと国は良くならない、と言う事になります。

このことについての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
66ページを開いてください。上段の【3】です。
(P66上段【3 言論戦で悪と戦う】を読む)

このご指導にある通り、私たちが対話をしていくのも、その根底には折伏精神があります。

相手の生命を変える為の戦いをしている、これが立正安国の実践であるという事を確認しておきたいと思います。

以上で、第3段を終わります。

■ 第4段

それでは最後の第4段を学んでいきます。

62ページに戻ってください。

第4段は、最後から5行目の「弥(いよい)よ」から最後までです。
それでは第4段を拝読しましょう。
(本文 P62L6「弥よ」 ~ 最後まで を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて下の通解を確認しておきます。真ん中少し後ろの「あなた(主人)の」からです。
(通解 P62L13「あなた」 ~ 最後 を読む)

ここでは、客は、「自分だけではなく、他の人の誤りを戒めて行く」との決意の言葉で結ばれていきます。
対話を通してまず一人が目覚めて立ち上がり、一人から一人へ、そしてまた次の一人へと広げて行く。

そして多くの民衆が立ち上がっていくという立正安国の実践が示されています。

つまり、まず一人の目覚めた人が出て立ち上がっていく。

そしてその人が周りの人を、対話を通して変えて行く。

生命と生命の触発、一対一の対話を行っていくことが「立正安国」の実践に他なりません。

この対話の重要性についての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
66ページを開いてください。上段の【4】です。
(P66上段【4 新たな対話への出発】を読む)

このご指導の中で、5行目に「一つの対話の終わりは、新たな対話への出発であった」とあります。
ここは、自分が相手に対話するだけでなく、またその相手が他の人に対話をしていく、という事です。

まさに「二人・三人・百人と 次第に唱へつたふるなり」と御書にある通りです。

この広がりを、誰か特別な人ではなく、民衆自身が目覚めて、そして対話を通して広げていく。

これが立正安国の実践です。

そして、日々その実践を行っているのが、私たち創価学会です。

一対一の対話から、一人を変革し立ち上がらせ、そして一人から一人へと広げていくことが、個人の幸福と社会の繁栄を築いていく確かな実践となります。

最後になりますが、池田先生が昨年の「SGIの日」記念提言で立正安国論に触れられました。
67ページで、その事について要点を書かれていますので、確認しておきたいと思います。

ここでは、立正安国論が現代にあってますます重要であるという事を、池田先生が3つの視点で示して下さっている内容です。

まず1番目ですが、67ページ中段の最後から2行目からです。
(P67中段最後から2行目「第一は」 ~ 下段L1「思想哲学です」 を読む)

立正安国論の国とは何か。

今日の御文で学んだように、国の中心におくべきものは権力者ではなくて、そこに暮らす民衆であるという思想哲学です。

民衆のために国が存在する、民が中心となる国家です。これを時代の精神にしていかなければならないとの視点です。

続いて2番目ですが、その次の行からですが、
(P67下段L2「第2は」 ~ L6「確立です。」 を読む)

これは「同苦」という思想となると思います。

目の前の人の苦悩を自分のことと捉えて、その解決に向かって心を砕いていく。

私たち学会員が日々行っていることに他なりません。

私たちの日々の学会活動の中に、この自他共の幸福の実現、立正安国の実践があります。

そして最後の3番目ですが、その次の行からですが、
(P67下段L7「そして第3は」 ~ L13「洞察です。」 を読む)

この「憂いの共有」は、立正安国論全体の冒頭の「旅客来たりて嘆いて曰く」から始まる憂いであり、この憂いの共有から対話が始まります。

そして、「誓いの共有」とは、本日学んだ部分です。

客もまた決意して、共に立ち上がり戦っていくという誓いで終わるという事です。
そして、具体的に何をするのかが「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」です。

わかり易く言うと「仏界の涌現」となります。

一人ひとりにある無限の可能性を開いていくこととなります。

逆に、その実践でしか時代を救うことが出来ないと言われています。
この実践をしているのが、私たちの対話の実践に他なりません。

私たちこそが立正安国の実践者であると言えると思います。

そのために大切なのは、私たち一人ひとりが多くの人とつながっていく事です。

このことついての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
67ページ上段の【5】です。
(P67上段【5 「つながりの拡大」を】を読む)

キーワードは、「一対一の対話」であり「善の連帯」です。

私たち学会員の対話こそが、時代を動かしていく立正安国の対話であると自身と誇りをもって前進していきたいと思います。

今回の御書の学習は以上となります。

■最後に

さあ、この4月、また5月と、大きく動いて、社会に幸福を広げる「友好対話」に挑戦していきましょう。

(各自、感じたことや決意など、それぞれの立場で追加してください。)

以上です。有難うございました。

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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
  ⇒忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
   URL:http://ougon.sdbx.jp/

  【利用方法】  ⇒ 忍者サンドボックスについて


法華初心成仏抄 2013年2月度 御書講義(御書学習会)

2月度御書講義 「法華初心成仏抄」

拝読範囲:御書全集   557ページ3行目 ~ 13行目
      編年体御書 1069ページ3行目 ~ 13行目

「 凡そ妙法蓮華経とは ~ 唱へ奉るべき者なり 」

2月度御書講義の「法華初心成仏抄」の講義用資料を作成しました。

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2013年2月度 教学の日 御書講義 「法華初心成仏抄」 (1/31改訂版)

【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは2月度の御書講義を始めたいと思います。

学会伝統の「2月闘争」を大勝利で飾るために、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。

大白蓮華の50ページを開いてください。今回の拝読御書は「法華初心成仏抄」です。

■本抄拝読の意義

本抄の内容に入る前に、今月の御書講義で本抄を学ぶ意義について、確認しておきたいと思います。

では、59ページを開いてください。
最初に一番上の段の「池田名誉会長の指導から」の【1】を確認したいと思います。
(P59上段【1 「絶対勝利」の信心を受け継げ】を読む)

はい。これは今年の新年勤行会で紹介された池田先生の新春メッセージの一節です。
池田先生は祈祷抄の一節を拝されて、強盛な祈りと新たな挑戦を叫ばれました。

この「法華経の行者の祈り」をより深く学んでいくのが今回の御書講義となります。

もう一度59ページを開いてください。
中段の「拝読のために」にもありますが、私たちの仏道修行は「唱題」から始まります。

「宿命転換」と「人間革命」と「立正安国」、また、自分自身の勝利の為にも唱題根本の前進がますます重要となります。

と言うことで、今回の御書講義のテーマは「唱題」となります。

「法華初心成仏抄」を拝して、この題目の意義と功徳、唱題の姿勢を学んでいきます。

もう一度60ページを開いてください。
上段の【2】で唱題根本の学会活動についての池田先生のご指導が紹介されていますので、あわせて確認しておきたいと思います。
(P60上段【2 妙法は大宇宙を動かす究極の力】を読む)

はい。こちらも年頭の先生のご指導です。

先生は一貫して「祈り」からこの一年が始まると言う事を教えて下さっていると思います。
また、ここでは紹介されていませんが、大白蓮華1月号の巻頭言で先生は、我らの祈りは「人間革命の祈り」である、また、「自他共の幸福の祈り」であり、「請願の祈り」である、という事を教えて下さっています。
私たちは、このご指導を受けて、本年の11・18に向けて、目標を定めて、祈りを根本とした前進をして行きたいと思います。

私たちのこの「祈り」を更に深めていく為にも、この「法華初心成仏抄」を学んで行きたいと思います。

では、これより内容に入っていきたいと思います。

■ 背景と大意

51ページを開いてください。
はじめに背景と大意ですが、中段にも書かれている通り、本抄は、いつ誰に与えられたのか、詳しくは分からないようです。

ただ、御書の内容から、この御書を戴いた方は、かつて念仏を唱えていた女性の門下と考えられています。

また、念仏を破折し法華経の信仰の基本を教えられた御書であると拝されます。

題号の「法華初心成仏抄」についてですが、「法華」とは一般的には「法華経」の意味ですが、その肝要は「南無妙法蓮華経」をさします。「初心」とは、初めて発心し仏道を志すことをいいます。
本抄の後半で末法の初心の衆生は妙法によってのみ成仏が出来ると明かされていて、このことから、後になってこの題号が付けられたとされています。

また、本抄は問答形式で書かれており、はじめに様々な宗教の正邪について論じられた上で、法華経こそが仏の本意を明かした経典である。また、一切経の中で最も優れた経典であることを確認されています。
そして、悪世の末法では、法華経の肝心である南無妙法蓮華経だけが衆生に利益をもたらす、成仏することのできる根本法であることが示されています。

(以下の段は時間に余裕があれば紹介)
あと、大白蓮華では紹介されていませんが、本抄では他に「よき師」と「よき檀那(法華経を持つよき人)」と「よき法」の三つが寄り合ってこそ祈りが叶うと仰せになっています。
また、仏法に無智の人も法華経によって成仏できることを教えられ、難を恐れず、どんな人にも誠実に仏法を語り抜き、強盛に弘教に励む様に勧められています。
そうして仏法を聞いた相手が素直に信じれば、成仏の境涯を得ることができますが、反対する人も「毒鼓の縁」によって必ず成仏の因を刻むことができると仰せです。
他にも、末法に法華経を持ち弘める人には三類の強敵が出現し、迫害することが明かされます。

難に遭いながらも恐れずに弘教を貫く人こそ法華経の行者であることを教えられています。
(ここまで)

最後に、南無妙法蓮華経の唱題によって、わが身の仏性を呼び現すことができるとの題目の意義が示され、強盛な信心で唱題に励むように呼びかけられ、本抄を結ばれています。

今回学ぶところは、この御書の一番最後の部分、いよいよ結びのところで、この法華経の題目「南無妙法蓮華経」の意義について門下に分かりやすく説明されている箇所となります。

■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。56ページを開いてください。

■第1段

今回の拝読範囲は、3つの段に分かれます。

一つ目の段は、本文最初の「凡そ」から57ページ3行目の「無量無辺なり」までです。
最初に題号を読みますので、それに続いて第1段を拝読しましょう。
(本文 P64L1「凡そ」 ~ P57L3「無量無辺なり」を拝読)

はい、有難うございます。
では、続いて56ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P56L1「広く」 ~ P57L3「無量無辺である」を読む)
(更に時間に余裕があれば、語句の意味を確認)

この段では、全体として「題目になぜ偉大な功徳があるのか」と言うことを教えてくださっています。

まず最初に、「題目の意義」が完結に述べられています。
本文1行目「凡そ」から5行目の「妙法蓮華経と名けたるなり」がその部分です。

本文冒頭一行目「凡そ」とは“広く言えば”との趣旨と思いますが、これから題目の意義を簡潔に示されていきます。「妙法蓮華経とは」のあとに「我等衆生」とありますが、これは言うまでもなく「私たち一切衆生」の事になります。特に、「凡夫」、十界で言えば「人界」、「迷いの多い人々」と言えます。

①「我等衆生の仏性」とありますが、この「人々」の中に「仏性」がある、と言うことがまず述べられています。

このことは、法華経でしか言い切っていない原理です。
「仏性」とは「仏になる性分・仏になる可能性」ですが、この仏性が全ての衆生にある、誰にでも仏になる可能性がある、と言うことになります。

御文では続いて、②「梵天・帝釈や、舎利弗・目連、文殊・弥勒」などの名前を挙げています。

これらは二乗界・諸天善神・菩薩界の代表的存在となります。

これらの衆生にも当然ながら仏性があります。
そして更に、③「三世の諸仏の解(さとり)の妙法」とあります。

これは三世諸仏、現在世・過去世・未来世の一切の仏たちの悟った妙法、ここでは「妙法」とは「仏性」と同じ意味になります。

これら3つが一体不二である法理を「妙法蓮華経」と名づけると仰せです。
「一体不二なる理(ことわり)」とありますが、一体不二とは全く差別がないという意味です。
つまり、繰り返しになりますが、①私たち凡夫の衆生に具わる仏性も、②二乗・諸天善神・菩薩に内在する仏性も、③仏が覚った妙法も、「一体不二」で全く同じであり、この仏性が「妙法蓮華経」と言うことです。

「妙法蓮華経」というのは、全ての生命に普遍的に具わっている仏性の名前であり、「仏だけが持っている」という捉え方をしてはいけません。

“全ての衆生が元々この妙法を等しく持っている”、と言うことを「一体不二なる理(ことわり)」として明確に示して下さっています。

一般の宗教では「神など大いなるもの」と「自分」とを別々のものと捉えるのが一般的ですが、それに対して法華経では、「自分自身が、実は、大いなるものと一体である」と説いています。
仏教では、この「大いなるもの」を宇宙と生命の根源である「法」と捉えます。

この「法」とは宇宙の法則であると同時に、私たち人間の生命の中にもあります。

自分の中にある「法」、自分の中にある「無限の力」を引き出していく、これが仏教の大きな特徴である、と言えると思います。
この自分の中にある「無限の力」を信じて、この内なる力を出すことで様々な苦労を打ち破っていく。

そして、ゆるぎない幸福を築いていく。

その知恵を得た人が仏である、その仏の知恵によって、万人が自分の中にある無限の力を顕していく事ができる。

自分の中に「偉大な法」を見出していく、これが仏教の一番の特徴と思います。
仏とは「目覚めた人」で、「まだ目覚めていない人」「さまざまな悩みに対して苦しんでいる人」に対して、「万人が目覚める事ができるのだ」との確信を持って人々を目覚めさせようとして闘い続ける人間である、と言えると思います。
全ての人、全ての十界の衆生に仏性がある、と言うことは、全ての人が仏になれる、偉大な可能性を開いていける、と言うことです。

これが法華経の考え方になります。

「妙法蓮華経」とは、全ての生命に普遍的に具わる仏性の名前です。
凡夫の生命にもありますし、仏や菩薩の生命にもある。

従って、「題目」という唯一つの音声で、十界の一切衆生の仏性を呼び顕すことができる。
本文では次に、この仏性の名前「南無妙法蓮華経」の「唯一音(ただいちおん)」の功徳について述べられています。
本文6行目の「故に一度(ひとたび)」 から第1段最後の57ページ3行目「無量無辺なり」までにある通り、私たちがひとたび全ての衆生の仏性に名づけられた普遍的で且つ完全なる名前の題目「南無妙法蓮華経」を唱えれば、この「唯一音(ただいちおん)」によって、自分自身の仏性だけでなく、あらゆる仏の覚りの法と、一切の仏・菩薩をはじめとした十界の衆生の仏性を呼び現していくことができる、と示されています。

この御文の中で、「一切の」と何度も強調されています。
最初に「一切の仏」とありますが、ただ一人の仏ではない、と言うことです。

あらゆる仏の仏性を呼び現すということになります。
例えば念仏の題目は阿弥陀仏の名前を唱えているわけで、阿弥陀仏は応えてくれても、他の仏を呼ぶことはできません。

それに対して「妙法蓮華経」は、全ての仏がこの「妙法蓮華経」で仏になることが出来た訳ですから、あらゆる仏の生命の仏性を呼び現す力があるのです。
そして、仏だけではなく、御文にあるように、仏界から地獄界までの一切衆生の心中の仏性を、ただひとつの音声で呼び現すことができる、それが「妙法蓮華経」であると言う事を教えられています。
これは、私たちの実践で言えば、「今ここに生きている自分が、例えどのような境涯にあったとしても、自身の仏性を呼び現すことができる」と言うことです。さらに、「自分の仏性だけでなく、自身をとりまく全ての人々の仏性をも呼び現し、この現実世界を輝かせていくことができる」ということです。
また、本文57ページ3行目にある通り、この唱題の功徳は「無量無辺」であると仰せです。

私たちが唱える題目の功徳は、計り知れないほど広大な力を持っていると言うことです。

大事なことは、自分自身の仏の生命を引き出していく、自分自身が輝いていくための仏法です。

言い換えれば、自分自身が変革する為の唱題である、と言うことになります。

次の段では、そのことが示されていきます。

第1段は以上となります。

■第2段

引き続き第2段を学んでいきたいと思います。

第2段は、本文57ページ3行目の「我が己心の」から58ページ5行目の「此の心なり」までです。
それでは第2段を拝読しましょう。
(本文 P57L3「我が己心の」 ~ P58L5「此の心なり」を拝読)

はい、有難うございます。

では、続いて57ページ下の通解を確認しておきます。

もう一度57ページを開いてください。通解の4行目からです。
(通解 P57L4「わが己心の」 ~ P58L6「この心である」を読む)

大聖人はご自身の己心の妙法蓮華経をそのままご本尊として御図顕されました。

私たちはこのご本尊を拝するときに、我が胸中に大聖人と同じ尊極の生命を現すことができます。

逆に言えば、私たちの胸中のご本尊を現す為に大聖人がご本尊を現してくださった、と言うことです。
本文第2段の最初57ページ3行目で「我が己心の妙法蓮華経」とありますが、ここは非常に重要な意義があります。

自分胸中の外に見るのか、中に見るのか。

私たちの胸中にあるのを大聖人がご本尊として現してくださったのです。

それを忘れてしまい、釈尊滅後の仏教に歴史にある様に、いつの間にか、いろんな仏が拝まれる存在になってしまった。

結果、殆どの仏教が仏像を拝んでいるように思います。

つまり、自分の己心の外にある仏を拝んでいる姿と言えます。おすがりの信心と言えます。
自分の生命の変革を忘れて、自分の中に偉大な力がある事にも思い至らずに、ただあなた任せでおすがりする。この様な考え方は大聖人の仏法ではありません。
自分の中の偉大な生命を引き出していく。

自分の生命の変革から始まっていく。

また、大いなる可能性を信じ抜いていく。

自分の中の力に対して確信を持てるかどうかが大事です。

本文に戻りますが「我が己心の妙法蓮華経」を本尊とあがめると、「我が己心中の仏性」が「南無妙法蓮華経」と呼び呼ばれて現れるとあります。

自分の仏性が呼び出てくる、この事が私たちの成仏の姿であると言うことです。

「よびよばれて」と仰せのように、呼び唱えるのも、呼び現されるのも自分自身の仏性です。
大聖人はこのことを「籠の中の鳥」が鳴くと「空を飛ぶ鳥」が集まる。

また逆に「空を飛ぶ鳥」が集まると「籠の中の鳥」が出ようとすることに例えられています。

この「籠の中の鳥」は私たち凡夫の仏性の事です。

「籠」とは私たちが無明や煩悩、様々な苦悩に束縛された状態、正に籠の中の鳥の様な状態と捉える事ができます。

また、「空を飛ぶ鳥」とは全ての衆生の仏性です。
唱題は自分自身の仏性を呼ぶだけでなく、あらゆる衆生の仏性も呼ぶ事になります。
つまり、「籠の中の鳥」、私たちの様々な苦悩や悩みを抱えた私たちが題目を唱えると、それによって「空を飛ぶ鳥」、十界のあらゆる衆生の仏性が呼び集まり、そしてまたそのことによって私たちの仏性が現れようとする。

「籠の中」から出ようとする。つまり、無明や苦悩など、それまで縛り付けていた籠が消えて、そして束縛から解放されて、自分自身で自由自在に飛んでいくことができる。

これが私たちの祈りの儀式と言うことです。

本文では続いて57ページ最後から3行目で「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」とあります。

私たちの題目によって自分自身の仏性も呼ばれていく。

そして「必ず」とあるように妙法の無限の功力を「必ず」我が身に現すことができると断言されています。
また続いて本文57ページ最後の行で「梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ」と仰せになっています。

すなわち、私たちが妙法の題目を唱えれば、必ず諸天善神が呼ばれて私たちを守護すると言うことです。
また、守護するだけでなく、本文58ページ1行目で「仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」とあるように、呼ばれて歓喜するとまで仰せになっています。

このことについて法華経見宝塔品第11では「法華経をしばらくでも持つ人なら、釈尊一人だけでなく諸仏が賛嘆し歓喜する」とあります。
末法の一切衆生が妙法を唱え、胸中に仏性を涌現して、幸福の直道を歩むことこそが、諸仏の最大の願いです。
私たちが一人の友を励まし、その人が励ましによって立ち上がる、そして宿命を転換していく。その姿を見ることが最大の喜びである。

正にその通りであると思います。
その意味で、私たち学会員が、現代において万人に妙法を弘め、また多くの人が唱題行によって自他共の幸福を実現している姿を、あらゆる仏が歓喜し賛嘆していることは間違いありません。

このことについての池田先生の指導を学んでおきたいと思います。
61ページを開いてください。上段の【3】です。
(P61上段【3 わが仏界の生命を賛嘆】を読む)

諸天善神を呼び動かすのは、どこまでも私たちの信心の一念です。

強き信心の一念で無明を打ち破った時にこそ、諸天善神が動かされるのです。

大聖人は、妙楽大師の釈の「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則(すなわ)ち強し」の一節を踏まえて、「人の心かたければ神のまほり必ずつよしこと候へ」と述べられています。
大事なのは、広宣流布に生き抜く強盛な信心を貫く人の上のこそ、諸天善神の働きが厳然と現れるということです。

第2段は以上となります。

■ 第3段

続いて最後の第3段を学んでいきます。58ページの本文に戻ってください。
第3段は、本文58ページ5行目の「されば三世の諸仏も」から最後までです。
それでは第3段を拝読しましょう。
(本文 P58L5「されば三世の」 ~ 最後まで を拝読)

はい、有難うございます。では、続いて58ページ下の通解を確認しておきます。7行目からです。
(通解 P58L7「したがって」 ~ 最後 を読む)
(更に時間に余裕があれば、語句の意味を確認)

最後の段では「皆成仏道の妙法」と「唱題根本の信心」について示されています。

5行目からの本文では、釈尊はじめ、あらゆる三世の諸仏は皆、この「妙法蓮華経の五字」によって仏になったことが示されています。

妙法こそが成仏のための根源の法であり、三世の諸仏の「出世の本懐」の法であると仰せです。
その意味で私たちが日々唱えている唱題行は、全ての仏教の結論であり、そして最高の修行であると言うことになります。

それを日々実践ができると言う事がどれほど凄いことであるかを実感していただけると思います。

また、続いて最後から5行目で「一切衆生・皆成仏道の妙法」とある通り、あらゆる衆生が皆、成仏できる法であると示されています。

これが私たちの題目です。全ての仏教の結論であり、全ての仏の出世の本懐であり、どんな人も仏になることのできる道であると言うことです。
あらためて、この「南無妙法蓮華経」がどれだけ偉大な法であるか、と言うことがいえます。

そして大聖人は、続いて本文最後の3行で、「このことをよくよく心得て、我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱えていきなさい」と仰せです。

「我慢偏執」とは58ページ上段の語句の解説にありますが「おごり高ぶった心にとらわれ、偏った考えに執着すること」の意味です。

そのことが「拝読のために」の中で少し述べられています。
62ページを開いてください。下段の真ん中です。
(拝読のために P62下段L12「大聖人の時代」 ~ P63中段L4「成仏の直道とはなりません。」までを拝読)

自分自身の内なる可能性を開く大聖人の仏法を持って、自分自身の中に尊極な生命があるということを忘れないことが大切です。

そして我慢偏執、奢り高ぶったり他に法を求めていっては成仏の直道にはならない、と言うことです。

このことについての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
同じ63ページの中段の最後から5行目からです。
(P63中段L9「大聖人は」 ~ 下段L8「宗教なのです。」 を読む)

続いて「題目の功力」についての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
上段の【4】と【5】です。
(P62上段【4 妙法は最強無敵の利剣】を読む)
(P63上段【5 一切衆生の仏性を呼び顕す】を読む)

私たちの仏法は、どこまでも私たち自身の生命の変革に挑戦し、自他共の幸福を築いていく宗教です。

そして、その源泉となるのが、この唱題行です。

唱題行は、いわば万人に開かれた仏道修行です。

そして信心によって、誰にでも無量の功徳を引き出すことができます。

■最後に

以上、まとめですが、「南無妙法蓮華経」の題目は、一切の諸仏の根源の悟りの法であり、法華経の精髄です。

題目を唱えることで、自身の胸中に大聖人と同じ尊極の生命を呼び現し、あらゆる衆生の仏性また諸天善神を呼び起こすことができます。
そして、この意義と功徳をよく心得て唱題を実践する姿勢について学んできました。

この題目の力を現代に蘇らせたのが創価学会です。

創価の三代の師弟であり学会員です。

その反対に日顕宗は、御書に仰せの我慢偏執の姿そのものだと言えます。

私たちは、大聖人の仰せの通りに、この唱題を根本にして、歓喜の波動を拡大して行きたいと思います。

さあ「伝統の2月」、「信心根本」「唱題根本」で、友の胸中の仏性を呼び覚ます「対話」に挑戦していきましょう。

(各自、感じたことや決意など、それぞれの立場で追加してください。)

御書の学習は以上です。

有難うございました

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【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。
 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。
 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。
  ⇒忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
   URL:http://ougon.sdbx.jp/

  【利用方法】  ⇒ 忍者サンドボックスについて


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