聖人御難事 2016年10月度 御書講義(御書学習会)

2016年10月度 御書講義(御書学習会)
 聖人御難事


御書講義 拝読範囲:
 御書全集   1189ページ 13行目 ~  1190ページ 9行目
 編年体御書  1208ページ 13行目 ~  1209ページ 9行目

 「 而るに日蓮二十七年が間 ~ 日蓮が一門は師子の吼るなり 」

10月度御書講義の 「聖人御難事」 の講義用資料を作成しました。
( 印刷して講義用原稿としてすぐに使えるPDFファイル形式 )

  ※ 基本的には、ご自身で研鑽をお願いします。 あくまで、ご参考資料と言うことで。

 ⇒ ダウンロード
        忍者サンドボックス 【黄金柱の地区部長会】ファイルスペース
             URL:
http://ougon.sdbx.jp/

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2016年10月度 教学の日 御書講義 「聖人御難事」

【挨拶】
(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)

それでは10月度の御書講義を始めたいと思います。

 ( 「教学を学ぶ意義」省略 (PDFファイルにて全編掲載)

それでは、24ページを開いて下さい。
今回の拝読御書は「聖人御難事(しょうにんごなんじ)」です。

御書の本編に入る前に、今回、この「聖人御難事」を学ぶ意義を、確認しておきたいと思います。

33ページを開いてください。「拝読のために」の箇所です。下の段の2行目からですが、
(P33  L2「10月度の御書講義では、」~L6「『師子王の心』を取り出だす信心を学び、」を読む)
とあります。この4点が、今回の学習のポイントとなります。

そして続いて、
(P33  L6「世界広布新時代を」~L9「その意義を確認します。」を読む)
とあります。

ここで大事なのは、世界広布新時代の今、「民衆仏法の“主人公”が私たちに他ならない」、ということ。
このことを確認するのが、今回の御書講義の一番の狙いとなります。

■背景と大意

それでは始めに、背景と大意を、確認しておきたいと思います。
25ページを開いてください。
(P24上段L1「本抄は」~下段最後「本抄を結ばれています。」を読む)

この「聖人御難事」を学ぶ上で、“法難の意義” を学ぶことが大事です。
大聖人が、渡から流罪を赦免されて鎌倉に戻られ、そして身延に入られます。

大聖人が身延に入られてからあと、“ 弟子たちが中心となって弘教を進めていた ” という点を確認しておきたいと思います。
“ 弟子が立ち上がり 戦う時代 ” になっていた、ということです。

そしてまた、この迫害を受けた熱原の門下は、“入信してまだ間もない人たち” でした。
入信して、まだ数年であったと考えられています。

また、その当時の社会の中で、武士などとは違い、階級の低い農民門下でした。
権力者の命令が絶対であった時代に、彼らは信仰の一点に関しては、絶対に屈することがありませんでした。
権力者が、「法華経への信仰を捨てて、念仏を唱えよ」と命じても、彼らは「断固No!」と叫んだのです。

この御書は、熱原の農民門下が、権力の弾圧の中でも一歩も引かずに信心を貫き、大難を受けきっているその姿に、それを見て大聖人が、ひとつの「宣言」をされた御書となります。

それが、聖人御難事における「出世の本懐」の宣言です。

ここで、大聖人の「出世の本懐」について、少し確認しておきたいと思います。

先程読んだところにも書かれていますが、御書の中で、「余は二十七年なり」とあります。

大聖人がご本尊を顕されたこと、そして三大秘法によって末法万年の民衆を救うという宣言は、この御書が著される弘安2年の前から、もう既に始まっていました。
そして、この「二十七年」が“熱原の法難”を指すことは明確です。

そうすると、この「余は二十七年なり」とは、どういう意味なのか・・・・?

御書に沿って、あらためて確認をしていくと、それは、「大聖人と同じく不惜身命で戦う門下が誕生した」ということになります。
「民衆が大難に耐え抜く強い信心を確立したこと」が、“出世の本懐の本質” である、ということです。

日蓮大聖人は、言うまでもなく、末法万年の民衆を救う道を開かれました。
しかし厳密にいえば、それだけで仏の誓願が成就するとは言えません。大聖人と同じ誓願の次元から日蓮仏法を持ち広げる不屈の門下が現れてこそ、本当の意味での誓願の成就となるのです。

つまり、大聖人がいくら最高の法門を残されても、それを受け継ぐ人たちが現れなかったら、大聖人の誓願を成就したとは言い難い、ということになります。

弟子が誓願に立ち上がってこそ、仏の願いが成就することになります。
戦う師弟の陣列が整ってはじめて、「民衆仏法の時代」が開幕します。
それが、“出世の本懐の本質” となります。

このことについて、先生のご指導を学んでおきたいと思います。
33ページを開いてください。上段にある池田SGI会長のご指導の「1」です。
(P33上段【1 不惜の弟子の誕生】を読む)

この中でも、「民衆仏法」という言葉を、強調されています。
大聖人の民衆仏法とは、民衆自身が主人公となることです。
“目覚めた一人の人間が、万人を目覚めさせていく・・・・・”、これが本来の仏法です。
民衆仏法とは、“使命を自覚した民衆自身”が主役となり、民衆の勝利を開いてゆく “人間の宗教” なのです。

これが、熱原の農民信徒の出現の意義であり、また現代においては、私たち自身が民衆仏法の主人公である、ということを改めて確認しておきたいと思います。

それでは、具体的に本文に入っていきましょう。

 ( 以下、長文につき省略 (PDFファイルにて全編掲載)


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